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2010,02,20, Saturday
はじまってますね~ ランタン。
いまだに長崎地元民の間では「長崎の行事じゃない」「いつからこんなのはじまった」等々おっしゃる方もおいでになるそうですが、そもそもが東西の異国の文化を柔軟に吸収して消化してきたのが長崎。もういいんでないですかね、ランタンフェスティバルも長崎の行事と認めても。と、私なぞは思うのですが。 ![]() 先日、銀座に新しくオープンしたビルまるごと一軒物産屋さん「めざマルシェ」の九州フロアに入ったら、いきなりランタン↑でした。ランタンのポスターもいっぱい貼ってありました。 ランタン初日はあいにくの雨だったようですが、点灯式の様子もしっかり全国ネットのNHKのニュースで紹介されていたし、朝日新聞にも載ってました☆ 今年は子供と一緒にランタンフェスティバルに行けそうです。 過去のランタンレポート(みたいなもの)などはこっちにも置いてあります。 なんだかヒヨコみたいなぬいぐるみがいっぱい写っておりますが、まぎれもなく私が作ったページですので。 あやしくないです。 ランタンは過去のものももちろん使いまわされていますが、毎年少しずつ新しいものも増えているようです。 今年はコイツがこんなトコに置かれてるよ!とか、探すのも楽しみなのです。 今日(2010/2/20)の長崎の様子をさきほど母から聞きましたが、浜町などは大変な人出で、選挙カーも身動きとれないくらいの渋滞だとか。 福山特需にわく「思案橋ラーメン」も、エンライ行列ができていたとか。 | 伝統・行事・慣習::ランタンフェスティバル | 11:38 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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2007,11,29, Thursday
■踊り町
興善町 本踊 八幡町 弓矢八幡祝い船・剣舞 西濵町 龍船・本踊 万才町 本踊 銀屋町 鯱太鼓 五嶋町 龍踊 麹屋町 川船 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | 伝統・行事・慣習::くんちレポート | 02:13 AM | comments (x) | trackback (x) | |
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2006,11,28, Tuesday
前年のくんちは産休してましたのでナシです。
■踊り町 栄町 阿蘭陀万才 船大工町 川船 万屋町 鯨の潮吹き 本石灰町 御朱印船 桶屋町 本踊 丸山町 本踊 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | 伝統・行事・慣習::くんちレポート | 02:47 AM | comments (x) | trackback (x) | |
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2004,11,28, Sunday
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2004,06,02, Wednesday
毎年恒例のくんち見物。今年で6年目です。ついにあと1年で一巡です。早かったような長かったような。今回は強引に有給休暇をとって早めに長崎入りし、3日に行われた庭見せも体験しました。庭見せというのは、くんちで使用する衣装や大道具・小道具等を町内で披露するというイベントです。昔は家の内部を堂々と見せることによって、自分は隠れキリシタンではありませんよということをアピールする意味もあったという説もあります。長崎らしいでしょ。 いつもは前日の朝、公会堂で奉納踊を観ていたのですが、今年は前日くんちの夕べの公会堂での観賞になりました。
庭見せめぐり 庭見せは毎年決まって10月3日に行われます。場所は町内の家の玄関先や店舗の店先などを利用しています。昔は家のすべてを開放するくらいの勢いで庭見せしてたらしいですが、現在はそこまで大規模ではありません。時刻は夕方から夜にかけて行われます。なので、昼まで東京で仕事をしてから長崎入りしても間に合いました。 ![]() 庭見せでは、くんちに使われる衣装や道具のほかに、くんち参加者へ親戚や知人から贈られた数々の品もにぎやかに飾られています。写真は左から、八坂町(川船)の網打ち船頭さんの衣装、築町(御座船)に飾ってあった贈り物の超高級魚・アラと鯛、同じく築町で振る舞われていたカラスミ、銅座町(南蛮船)に飾られていた贈り物の巨大桃カステラ。カステラの左にあるのは桃まんじゅう、右は石榴です。 築町はさすがに市場の町だけあって、大量の魚介類が豪華に並べられ、活気がありました。カラスミも日本酒も大盤振る舞い。ほんとは飾ってあった高級魚・アラ食いたかった…。 ついでの話ですが、銅座町に飾ってあった巨大桃カステラは、後日私のおなかにおさまりました(左は証拠写真)。なんと偶然にもこのカステラは「一二三亭(ひふみてい)」のご主人の娘さんへ贈られたものだそうで、たまたま友人と食事に行った時にごちそうになってしまったのでした(写真に写ってる黄色いのが私と友人)。 ちなみに桃カスはゆき姫御用達の地元の有名店「万月堂」製でした。手拭いまでもらっちゃって、ありがとうございました大将~。手拭いはタテ置きの南蛮人柄。このデザイン最高っすー。カッコいいっすー! 傘鉾パレード 今回も混雑する県庁付近は避け、市役所前あたりを狙ってみました。いい絵が撮れますよ。バッチリですよ。写真は左から、馬町、八坂町、築町、銅座町、東濱町です。龍踊の籠町は今年は正式な踊町ではなく、ゲストであるため傘鉾は出ません。 ![]() 馬町の傘鉾は流鏑馬グッズです。最近弓道に惹かれてる私としては一番グッとくるデザインです。カッコいいっす…。昔、くんちでは流鏑馬も行われていました。場所はお諏訪さんのすぐ下あたりだから…ちょうど馬町になるのでしょうか? そこらへんからのつながりだと思います。 八坂町はもちろん八坂神社のイメージでしょうか。垂は三社紋ですね。築町は菊やススキで秋らしくトータルコーディネイトされてます。 銅座町は銅製の灯篭(銅座はかつて棹銅を製錬していたことからついた町名です。長崎出身の某漫画家が東京の銀座をマネしてつけた名前だと恥ずかしい勘違いをして本に書いてましたが)。 東濱町はハマグリの潮吹きの中に蜃気楼の竜宮城が出現…という夢のあるデザイン。奉納踊の竜宮船ともバッチリあってます。 庭先まわり ええっと…前述のとおり、今回はくんちの夕べの公会堂での観賞だったため、光不足とポジション取りの難しさのためロクな写真が撮れませんでした。なので庭先まわり追っかけ写真レポートということでご勘弁。東濱町の竜宮船に会えなかったので(あんなにデカいのに…)、東濱町がらみのレポートはありません。こっちもご容赦。1枚目は籠町の龍踊の移動中風景。龍は首があっち向いたりこっち向いたりするから撮影するのが難しいんだよね~。この写真は左下の少年の楽しそうな表情がよく撮れてるほうだと思います。ここだけの話、龍踊は籠町のが一番好きです。 2枚目は今回物議をかもした八坂町の川船。なぜなら、長いくんちの歴史の中でも、はじめて女性の根曳きさんが参加されたからです。私はこれに対し、特に反対でも賛成でもありませんでしたが、実際に観てみてビックリ!素晴らしかったです。八坂の川船は軽量で、ものすごいスピードで回転します。舳先担当の根曳きさんは手の力だけで船につかまり、ジャンプして船と一緒に振り回されます。その舳先を彼女は担当したのです(写真で船の舳先向かって左側に写ってます)。 世間の目が一点に集中して、他の男性たちは内心面白くないのでは…などとおせっかいな心配もしたりしましたが、そんなそぶりは見えませんでした。特別扱いにはせず、それでいて気遣っているような様子がうかがえました。彼女の頑張りや町の人たちの彼女に対する接し方を見たら、誰でも八坂町のファンになってしまうのではないでしょうか。立派でした。いいもの見せてもらいました。 最後は銅座町の南蛮船です。帆船大好き、特に西洋の船が大好きな私にはたまらんです。船は長崎大学の協力でかなり本物に忠実なデザインになっているそうです。光沢のある塗装がとびきり美しいです。高くなってるコーターデッキとかランプや船尾に使われている色付きガラスなど、細部にいちいちトキメキを感じます。南蛮屏風に描かれた南蛮人の衣装をこれまた忠実に再現したという衣装もステキすぎます。欲しいです。 根曳きさんたちは長崎大学監修の体力増強メニューをこなしてくんち本番にのぞんだそうです。近づいて見てみると、船の横に取り付けられた手すりにはYONEXのラケット用と思われるテープが巻いてありました。本格志向って感じです。 船は暗くなってくると明かりがともり、さらにまた幻想的で美しい姿を披露してくれました。イイ!帆船万歳! 最後はなんだか違う方向に話が向かいましたが、こんなレポートで勘弁してください。 | 伝統・行事・慣習::くんちレポート | 06:28 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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2003,01,22, Wednesday
毎年恒例のくんち見物。いよいよ今年で5年目です。あと残り2年で一巡です。今ではもうこの時期になると、職場では黙ってても私がくんち帰省することが当たり前になっているのがありがたいです。夏休みをとらずにとっておいて、10月にダダっと休み申請しても「あ、いつものお祭りね」って感じで。
今回はくんち3日間が全部平日だったので、中日の夜までしかいられませんでした。だってさ、後日までいるとしたら絶対最後の最後まで追っかけしなくちゃ気がすまなくなってしまうでしょう。そしたら飛行機に間に合わなくなってしまいます。ですのでここは涙を飲んで中日までとしたのです。 今回も前日朝の公会堂前で奉納踊りを拝見しました。前回の失敗を繰り返さないように用意万端体調も整えて、一番前の席を無事確保しました。ななめ後ろから見る角度なので、実は踊りのフォーメーションなんかはよく見えなかったのですが、前に障害物がないのは気分が良いもんです。 上町(本踊り)傘鉾はオーソドックスながら気品があってすごく素敵です。上町は諏訪神社のすぐ下に位置する町ですので、飾りの榊はお諏訪さんを象徴しているそうです。鈴から下がった長い布がとっても優美です。そしてなんといっても垂がカッコいい!織りの模様と三社紋がキラキラして、色は渋めなのになんともゴージャス。この朱色とうぐいす色の深さ美しさはまさに日本の色ならでは。 上町の奉納踊りはとってもシンプルな構成になっていました。先曳きもいないので、シャギリの方々が踊り馬場の中心に座ってまず、シャギリを奉納。めずらしくて、なんだか楽しい気分です。撒きものの手拭いは和傘柄。踊りに使う傘ですね。庭先回りの移動中にもさしたりします。図柄は並んだ傘を上から見た図になっていて、とってもいなせです。私の真後ろのオバチャンがなかなか強引で「ダンナしゃま~ こっちにちょうだい~!」と絶叫してくれたおかげか、私も町の役員のおじ様から手渡しで撒き手拭いをいただいてしまいました。オバチャンさんきう~。 メインは丸山検番のお姉さん達による本踊り(検番さんというのは、芸者さんのことです)。前年、我が家が丸山の花月で宴を催した際、検番さん3人に来ていただいたのですが、その時いらした音羽ねえさんが出演されるということで、皆で楽しみにしていたのでした。やはり音羽ねえさんはきれいで、目立っていました。以前は本踊りというと検番さんに頼んで出演してもらっていた場合が多かったそうなのですが、近年は検番さんの人数が少なくなったこともあり、日舞教室の生徒さんにお願いしたり、町内の独身女性に踊りの稽古をつけて出演してもらうというパターンがほとんどです。今回、検番さんが出演されたのは5年ぶり。つまり、私がくんちに通い始めた前の年に出られたのが最後だったんですね。上町の本踊りに出られるのは14年ぶりとのことです。 検番さんはやはり衣装をつけて人前に出ている時間が長く、慣れていらっしゃいますから、踊っている時以外でも所作がとても粋です。長い間に身についた芸というのは流石だなあと思わせられます。 油屋町(川船)油屋町の傘鉾は明治の始めに長崎の女傑・大浦お慶さんが寄贈した話が有名です。郷土史家の越中先生によると、お茶の輸出で財を成し(もともとは油問屋さんです)、志士達を援助した彼女は明治政府から感謝状をもらいました(本人は勲章を希望したのだけど、女だからという理由でもらえなかったらしい)。その時に記念に傘鉾を京都で作らせ、町に寄贈したとのことです。 今回の傘鉾がその傘鉾であるかはさだかでありませんが、先生によると、垂はお慶さんのものだとか…?「いかにもお慶さんらしか、すっとして豪快な柄でしょう!」とのことでした。 飾りの稲穂は油屋町に昔は田んぼが多かったことのなごりだそうです。輪もしめ縄になっていて、ナイスコーディネイトですね。金の宝珠がかわいいです。 私が観ていた前日の公会堂で、この傘鉾が転倒して飾部分が破損してしまいました。目の前の突然の出来事にびっくりして証拠画像もなにもないんですが。 油屋町の川船は昭和48年がデビュー。魚の町に習ってはじめたそうです。今は地下にもぐって目立ちませんが、油屋町には川があるんですよ。手拭いのデザインも玉帯川と橋の欄干を簡略化したもので、すっきりと粋なんです。 ![]() 舟唄を歌いながら踊り馬場にやってくるんですが、この根曳きさんの唄がいかにも漁師っぽくって良いんですよ。町内のお米屋さんの作詞作曲なのだそうです。 今回の船頭さんは飾り船頭さんと網打ち船頭さんの兼務でした。網打ちするにはまだ小さいかな、と思われましたが、余計なお世話でした。堂々とした演技で立派なものでした。うまく全部の魚が網に入った時、ちょっと嬉しそうな顔をしたのがかわいかったです。写真の網打ちシーン、船の前方に並んだ根曳きさんの衣装が川と波をイメージさせてきれいでしょう。 元船町(唐人船)諏訪神社のお旅所がある元船町です。お旅所での奉納踊りは地元でさぞかし盛りあがったんだろうなあ~。昔、波止場だったところです。 唐人船というものいかにも昔の長崎っぽくていいですね。しかも今回日中国交正常化30周年ということもあって、中国の領事さんも会場に招待されていました。 手拭いは唐人船の絵です。色数が多いので、プリントでしょうか。撒きものの結んだ手拭いには、中国のお菓子“よりより”がはさんでありました! 傘鉾は竜宮門の前に立つ千里眼と順風耳。どちらも航海の守り神・媽姐(まそ)様の親衛隊ですね。銀の波がゆらゆらします。全体に色使いがポップでキュートな感じです。船の登場の前に、女の子たちによる中国風の踊りの奉納があります。音楽は明清楽の生演奏です。あの坂本竜馬の奥さん・おりょうさんも習ったという月琴も登場します。 唐人船は赤・白・黒の色が鮮やかで、帆がぱたぱたするところがとってもそれらしく、白石一郎の海洋小説ファンとしては、見てるだけでわくわくさせられます。目玉みたいなのが描いてあるところもとても中国風でいいです。船の上には航海の神様・媽姐様が祭られています。中に乗っている囃子方の子供達が鳴らす音楽も龍(じゃ)囃子のようです。龍踊りでおなじみの細長いバチで叩く、パラパラという音のする太鼓(その名もパラパラ)も乗っています。その子供達がまた、とっても真剣なんです。揺れる船をものともしていない様子で演奏している表情は、きりっとしていて美しかったです。思わず目頭が熱くなります。 今回初登場の船回しの新技・ドラゴンは公会堂では見ることができなかったですが(やってなかったよね?狭いし…)、お諏訪さんでの様子をビデオで後日確認しました。この技は船を回転しながら徐々に前に進むというもので、間近で見たらすごい迫力だと思いますよ。 鍛冶屋町(宝船)傘鉾、すごいですよ~。お能や歌舞伎でおなじみの「小鍛冶」のお話をモチーフにしたカラクリ人形が乗っかってるんですもの。ちなみに私以前歌舞伎座にて三條小鍛冶=勘九郎、狐=猿之助で観ましたが、あまりに踊りが素晴らしくて泣きましたよ。猿之助すごいよ…普段はケレン味が強すぎて嫌いなんだけどさ。うまいよねえ踊り。話がそれた。 どういうお話かというと、刀鍛冶が大事な刀を作らなくちゃいけないのに相槌を打てるものがおらず、困って稲荷明神に祈願してみたところ、童子(実は狐)がやってきて手伝ってくれる…と、だいたいそんな感じです。 カラクリでは、小鍛冶が槌をカンカンと打つと、それを見ている童子の顔が狐に変わります。画像でお分かりいただけるでしょうか? 左は童子の顔、右は狐の顔になっています。口元がとんがっているでしょう。 ![]() 飾りも魅力的ですが垂もゴージャスですよ。七福神が織り込まれているつづれ織りです。近くで見ると、その織りの技術の精巧さがよくわかります。 踊り馬場に宝船がやってくる時のめでたさったらないですよ! 「寶」と書かれた大きな帆を背に七福神が勢揃いして乗っかってるんですから。あまりの豪華さに思わず有難い気持ちで手をあわせてしまいそうになります。手拭いもこの帆と七福神を染め抜きしたデザインです。実は鍛冶屋町の撒きものはキャッチしそこねてしまったのですが、後日囃子方としてご子息が出演してらしたおさむさんからいただいてしまいました。七福神が踊りに使っていたおそろいの扇子まで! 感激です。ありがとうございました。 ![]() 七福神は全員若い女性が扮しています。かわいいですよ。船から下りて、まずは踊りの奉納があります。それぞれの神様のキャラクターが表現されている踊りです。もちろん所望踊り(アンコール)のぶらぶら節もあり。神様の他に波の精に扮した少女もふたり登場しますが、小さいのに堂々とした演技で感心しました。 七福神もほぼ全員藤間の名取りさんなので、踊りも上手です。衣装もそれぞれとっても素敵です。 注目は靴。おそらくキャラクター的に草履を履いていたり裸足だったりする神様もいるのでしょうが、ここの神様達は庭先回りなどもなさりますから、歩きやすそうな靴を履いていらっしゃいます。でも、ただのクツではないですよ。室内履き風の靴なのですが、着物の共布を使ったり、ファー付き(毘沙門天)だったり、衣装にあわせて違和感のないようなデザインになっており、目を惹きました。踊りの後はいよいよ宝船です。宝物がいっぱい乗った船は重そうで、回すのも大変そうです。大きな帆がはためき、提灯がゆれ、豪快な船回しです。 筑後町(龍踊)傘鉾はオーソドックスな印象。飾りは三種の神器、輪はしめ縄、垂は朱色に金で三社紋と鯛です。神々しい感じですね。手拭いは龍がカラフルに描かれたもの。プリントかな? 筑後町の龍踊、豪華ですよ。だって龍が3匹もいるんですから。青龍(緑色のやつ)が2匹、片方は黒髪、もう一方は白髪です。あと白龍が1匹。なんと龍方は総勢56人もいらっしゃるのだとか。囃子方もたくさんで壮観ですよ。長ラッパも他の龍踊を奉納される町よりも多いのではないでしょうか。しかもとても上手です。あ、そうか。龍が3匹もいますから、龍の鳴き声を表現する楽器である長ラッパが多いのもなるほどそうですね。 複数の龍がいる場合、もちろん観ている方は共演を期待してしまいます。今回は3匹が同時に登場してずぐらの形(とぐろを巻いている状態)になり、同じタイミングで玉を見つけて玉追いをしたり、踊り馬場をめいいっぱい使った演出がみられました。他の町の龍に比べて胴体が多少スリムに見えましたが、それは3匹が一緒に踊りやすいようにしてあるためかもしれません。くんちの龍踊を楽しみに長崎にやってきた観光客の方もびっくりするような迫力のある奉納踊りだったと思います。 ![]() さて、公会堂前の会場を出てからは、いつもの三八ラーメンにてお昼を食し、お旅所付近をフラフラ。 出店を冷やかしながら歩きます。母上と一緒に「玉使い(龍が追いかける玉を持ってる人)のあのお兄さんカッコいいよねー」とか、そんな話をしながら各踊町が一息ついている様子や庭先回りを見物しました。 さっきは遠い存在に思えたきれいな衣装の踊り手さんや船が間近で見られる幸せ。雑談しながら移動していた七福神さんたちもすごくかわいかったですよ。龍がトラックの荷台に格納される場面も目撃しちゃいました。 年々出店の数が少なくなっているという話を聞きますが、確かにちょっと減ったかなあという印象です。それでも数はけっこう出ているのですが、バラエティーにもっと工夫があったほうが楽しいかなと思います。同じようなお店が多いかも。去年出ていたというウワサの“うずらすくい”のお店、今回も見かけなかったなあ。 ![]() そうそう、いつも中島川沿いに来ていた南極体験バスや移動オバケ屋敷がなくなっていたのが寂しかったです(一度も自分で入ったことはないけど)。おそらく長崎のちびっ子達にとっては「怖そうだけど気になる」存在だったと思うのですよ。そういう思い出って、日本の子供に必要でしょ。 時間を見計らって市役所前あたりでお下りを見物。今年は傘鉾パレードもばっちり観ましたよ。県庁坂付近に比べて見物人が少ないので、写真もよく撮れます。朝、公会堂前で転倒してしまった傘鉾も、修繕されて元気にたくさん回っていました。ところどころで立ち止まって、すべての傘鉾が同時に回る姿は壮観です。鍛冶屋町のカラクリ傘鉾も近くで観られるし、ギャラリーは大喜びでした。昔は傘鉾も庭先回りをしていたそうですが、現在は見られません。さぞかし大変だったろうなあと思います。今も大変ですよね。本番の本数も増えたし、パレードでも長距離歩かなくちゃだし…。でも、参加してらっしゃる方はみんな楽しそう。いいなあ。 行列がすべて通りすぎたら、今度は裏の道を通ってお旅所手前に先回りします。ちょうどお神輿が走り始める瞬間を激写できました。これで去年の雪辱は晴らしたね!中日は庭先回りを探して町をウロウロ。音を頼りに移動します。油屋町あたりで羽織袴姿の鍛冶屋町の役員の方が庭先回りの下準備をされている所に行きあたりました。これ幸いと「傘鉾はどこにいますか?」と質問しましたところ「うちの傘鉾観たいですか?これから中央公園でやりますから行ってください!」と、とても嬉しそうに教えてくださいました。「中川組さんは上手に扱ってらっしゃいますね」と申し上げましたところ、「そうでしょう!でも、傘鉾が大人気すぎて踊りの時間が短くなっちゃって大変なんですよお」と、ぼやきつつも誇らしげでいらっしゃいました。 さっそく中央公園に移動。運良く鍛冶屋町さんが出番待ちをしているところでした。実は鍛冶屋町の傘鉾を担当していらっしゃる中川組の方とは掲示板でお話しをしたことがあるのです。勇気を出して声をかけてみました。いきなり本番前にやってきた私にみなさんとっても親切にしてくださって、記念撮影させていただいたり、傘鉾の中に入れていただいたり! 本当にどうもありがとうございました。前厄も吹っ飛ぶくらい縁起が良いぞ!(記念撮影の模様はいつものヒヨコページにて公開中) そんなこんなで5年目も無事にめでたく体験しました。さあ、あと2年でくんちコンプリート! | 伝統・行事・慣習::くんちレポート | 05:56 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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2001,12,27, Thursday
ゆき姫、今年でようやくくんち4年目です。やっと半分まで来ました。去年のくんちレポートは気合を入れすぎて自分の首をしめる結果になってしまい、更新にものすごいパワーを必要として大変だったため、今年はさくっと行きたいつもりです。
博物館くんち開始前、10月6日に長崎市立博物館へ行ってきました。この日は原田博物館長さんによる解説付きで「風流のまつり 長崎くんち展」を見ることができるということで、スケジュールをやりくりしてはせ参じたわけです。 千葉県佐倉市にある国立民俗博物館でごく最近確認された、くんちの風景を描いた「長崎諏訪祭礼図屏風」を、しっかり堪能してまいりました。この屏風に描かれている神社の様子が、あまりにデフォルメされていてお諏訪さんとは違うのでは…?と思われていたのですが、門前に描かれた旗に「南馬町」という町名があるのと、傘鉾に「諏訪町」という町名も確認できたのが証拠になり、「これはやはり長崎の諏訪神社だ!」ということになったそうです。 この屏風は異時同図法が用いられ、9日のお上りが終わった後にすぐ行われた流鏑馬(やぶさめ)と、12日に行われたお能の様子が同時に描かれています。現在行方不明の右側の屏風(屏風は二つセットで一双)にはきっと、庭見せや奉納踊り等の様子が描かれているのでしょう、というお話でした。うおー見たい! 人物が非常に細かくたくさん描かれていますが、注意深く見ていると当時の風俗が生き生きと伝わってきます。縁起ものとされた流鏑馬で射られた的の板を奪い合う人達、庭先まわりを眺めようと屋根にのぼる人達、屋台で食べ物を売る人達… 今とかわりない人間の営みがうかがえます。お諏訪さんの入り口にあたる階段の下には川が流れており、橋がかかっています。どちらも今は存在しません。驚くことに、その橋の上で武士が履物を脱いでいる様子が描かれています。気付くと、お諏訪さんの境内を歩いている人達はみな裸足です。境内は神聖な場所、という思想がこの頃は強かったのでしょう(今では、かなり嘆かわしいことになっていますが…)。 おもしろくていつまで見ていても飽きないほどだったのですが、この日は予定があったので説明をひととおり聞いてすぐに博物館を後にしました。 前日いよいよです。今年はきちんと出かける前に中継番組のタイマー録画をセットし、早々に出発して公会堂前に並びました。でも…やっぱり一番前の席はとれませんでした…。またも2列目だったのですが、今年うちの前にいた人はわりと余裕をもって場所取りしていたので(幸か不幸か)、それほど視界が邪魔されずにすみました。 まずは新橋町の「オランダ万才」。他にもオランダ万才を奉納する町はありますが、ここが元祖なのだそうです。 オランダさんに唐子も混ざったごちゃまぜ感がとっても長崎らしくていい感じ。音楽も異国風な節回しで耳に残ります(実際くんち終了後もアタマの中でまわってた)。今回は太夫と才蔵もダブルで豪華。 次は諏訪町の「龍踊り」。白龍と青龍のダブルの龍踊り、何年も前から楽しみにしてたのだ~。私の勝手な想像では、両龍のからみがもっとあるのかと思っていましたが、そうだよな…物理的に難しいかも。 でも、諏訪町独自の龍衆さんの棒交代(珠を追いながら一瞬のうちに龍を持つ人達が全員入れ替わる)は見事の一言! 衣装の早代わりも目に鮮やかでした。 新大工町の「引壇尻」にも興味津々だったんだよ~。丸山の料亭花月の庭に「壇尻」とだけ紹介されている木の枠組みみたいなものを見てから、ずっと気になってだんだよね…。新大工町のものは極彩色の壮麗なものでした。大工さんが仕事している様子を描いたレリーフがグゥ。衣装の色使いにも卓抜したセンスが感じられます。でも、それよりも驚いたのは壇尻とセットではじめに奉納された「詩舞」。てっきり詩を吟じながら踊るのかなーと思いこんでいたら、詩吟はおじいちゃんが担当。踊りはお姉さん達(後ほど画像付きで紹介します)が担当だったのね。 詩吟のバックに流れる音楽が…「じゃじゃーん!」って…。昔の東映時代劇の効果音みたいだったのが若干ショッキング。 金屋町の「本踊り」、私けっこう好き。上手かったですよー踊り。やはり日舞はきちんとしたキャリアのある方が担当されるのが良いですね。安心して観ていられます。長年やってきたプライドをかけてくんちに臨んでいらっしゃる迫力があります。今までくんちで唐風の獅子舞を見たことはありましたが、和風の獅子舞をまともに見るのは初めてでした。女性が演じているせいか、足も丸みを帯びてかわいらしく、動きにも猛々しさよりやわらかさがあっていいなあと思いました。獅子の後ろ足を担当される方は前が見えないので、二人息をあわせていくのは根気のいる作業だったろうなと思われます。 昔、本踊りはくんちの花形であったそうです。それがだんだん大掛かりな曳きもの等に人気が移っていきましたが、こういった良質な本踊りを見せていただくと「やっぱりいいなあ」と再認識します。 榎津町の「川船」。榎津町さんの公式サイトで練習の様子をいつも覗いていたので、出来あがりがとても楽しみでした。踊り馬場に入ってくる時、眠っている飾り船頭さんの首が船がガタゴトする度に激しくガクガクする様子が、とてもかわいかったです。代わって登場した網打ち船頭さんは、今まで私が見た中でも最年少かと思われるくらいの少年でしたが、その堂々たるたたずまいと表情は、文句なしの網打ち船頭さんでした。 根曳きのお兄さん達の着物の色がキレーでしょう。本当に川面が波立っているような錯覚をおぼえました。 最後は賑町の「恵美須船」。船の舳先に乗ったエビスさんが釣り糸をたれ、本物の活きたタイを釣りあげます。けっこう大きなタイなので、重いのではないかな。それにしても、エビスさんのお化粧って不思議。ちょっと時代劇の“悪”メイク入ってるような?恵美須船の登場の前に、宝恵船と宝来船が演技をします。宝恵船は男の子だけ、宝来船は女の子だけで根曳きさんから太鼓、舟采さんまで全部編成されています。 息のあった回しっぷりと落ち着きには感心しました。海の船は賑やかですね。万屋町のくじらにも、たくさんのくじら漁の船がついてきますし。往時の漁の様子がしのばれて、なんだか楽しくなってきます。 右の写真が男の子担当の宝恵船。こうしてくんちの精神は次の世代に受け継がれていくのねー。 お下りお昼過ぎ、県庁前でお下りの行列を待ち構えました。一番の目的は去年観なかった傘鉾行列。各町の傘鉾がいっぺんに観られるというゴーカ企画。 辛抱強く待つこと約40分、ようやく行列がやってきました。先頭は猿田彦の神さん(写真)。この後にお御輿が三体続きます。と、ここでお御輿が止まり、休憩に入りました。私が立っている場所の目の前にお諏訪さんのお御輿が。賽銭を投げ入れたりしているうちに、稚児さん達の行列が御輿ごしに通りすぎて行くのが見えました。イヤな予感… 向こうから傘鉾の鈴の音が「ちりん、ちりん…」と聞こえてきます。でも、お御輿に遮られて、何も見えない!! ノー!なんということでしょう。苦労して待ったというのに、すぐそこでくるくる回転したりして愛嬌を振りまいている傘鉾さん達が全く見えません!!ダー(涙)。視界を遮っているのはお御輿。「どけ」とも言えず。トホホです。来年こそ…。傘鉾行列を観ることはかなわなかったけど、こうなりゃ県庁坂を勇壮に走り下りるというお御輿を間近で見てやろうじゃないか!と、ハナイキも荒くじりじりと追っかけ態勢に入りましたが、ようやく動き出したお御輿はしずしずと移動し、いっこうに走る気配が見えません。ワケがわからず「何?何?」と思っているうちに坂をそろそろと下り、かなり遠くに行ってしまってから、にわかにダッシュしている様子が見えました。…最後まで、裏切られ続け…。 中日中日は友人と会ったりする用事がありましたので、そっち優先。でも、町ん中を歩いていると、庭先まわりに出会っちゃったりして、つい追っかけを…。連れがいるというのに、カメラを手にいきなりダッシュする私。付き合わせてしまって、すいません。>O嬢、Y氏。 まずは某銀行前で新大工町の引壇尻に遭遇。浜町アーケードのはずれで移動中の諏訪町の白龍も見かけました。諏訪町さんは大所帯のため、お昼をとるのも大変だったとか…裏方のお仕事をこなされた方々の苦労がしのばれます。 大波止もウロウロしてみました。お旅所で「くんち期間限定 くんちみくじ 初穂料200円」を発見。ルックスがいつもお正月のお諏訪さんで引いている「プチ七福神付きおみくじ」にそっくりだったため、「くんちみくじということは、プチ龍とかプチ川船が入ってたりするのかも~!」と期待し、うきうきと引いてみました…が…ただのおみくじでした。何のおまけも付いてません。なぜに「くんちみくじ」…? しかも200円。 待ち合わせの合間にも、詩舞を間近で観ることができました。あんまり間近で私がまじまじと観ているので、おねいさん達も踊り辛かったのでは。庭先まわりでもしっかりスピーカーがセットされ、あの「じゃじゃーん!」という音楽は健在。ちなみに詩吟は「坂本龍馬を思う」。龍馬くんは長崎ともご縁のある方ですし。 昼まではなかなかのお天気でしたが、夕方からちょっと雲行きが怪しくなり、庭先まわりの各町の方々も船にビニールをかけたり、苦心されている様子でした。 庭先まわりのチェックポイント、カステラの「福砂屋」本店前では榎津町の川船を拝見しました。 なんだかんだ言いながら、結局追っかけ充実の中日…。 後日9日は雨模様になってしまったため、後日は1日順延となりました。9日はもう一度長崎市立博物館へ行き、「長崎くんち展」を家族に解説しつつ見学。そして国立歴史民俗博物館作成の「風流のまつり 長崎くんち」という、くんちの歴史・内容を説明したビデオを観ました。このビデオ、すごいですよ。とっても良く出来ています。くんちを全く知らない人でも、これだけ見ればくんち博士。残念ながら市販はしていないそうですので、博物館で見てね! 後日はキャンセルが出たお旅所の桟敷券を購入し、またしてもフルコースを観てしまいました。その後お諏訪さんに移動し、お上り待ち。まずはじめにやって来るお賽銭箱をかつぐ若者達に「走れー!」という毎度の野次。前は走ってくれていましたが、今回は披露困憊していたようでダメでした。若者よ、鍛えろー。野次は禰宜さん達にもかかりました。皆さん怒ったりもせず、ニコニコしてました。 ようやくやって来たお御輿、走り出したとたん、先頭のお諏訪さんのお御輿の後ろの方で転倒がありましたが、すぐに態勢を立てなおして無事上りきりました。パチパチ お上りの後、拝殿中でご神体が下ろされ、カラになったお御輿が格納庫に収納されるまでを見学しました。さすが拝殿中での作業は、幕がかかるために見えません。 さあ、後は追っかけファイナル、浜町の大丸前です。今回は金屋町、賑町、諏訪町を見ることができました。ここまで来ると、踊り町の方々のテンションも最高値にまで上昇し、踊り馬場での奉納踊りとはまた違ったノリが感じられます。賑町の船回しも、それまでの3日間私が観た中でも一番と言っていいほどの出来でした。思わず感涙。 大丸前でのトリは諏訪町でした。なかなかやってこない龍を待って、続々と観衆が集まり、しまいには身動き出来ないほどの大混雑に。おばちゃんら、ズル込みはやめようね。 子龍(青龍)と白龍がやってきて、集まったくんちバカのボルテージも上がりっぱなし。私も出来るかぎりの大声で「もってこい」をかけました。後日の大丸前には、一度観たら逃れられない魔力があります。あの独特な場の盛り上がりは、その場に参加した者にしかわからないかも。体力つけて、来年も行くもんね!…あと、龍踊ファンの方に是非見ていただきたい画像がこちらの「おじゃる丸」がらみのページにあります。下~のほうまでスクロールしてくださいな。お兄さんありがとう!では、こんなところでまた来年。ちゃお~。 | 伝統・行事・慣習::くんちレポート | 05:25 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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2001,08,29, Wednesday
観てきました。平成12年くんち。踊り町はフル出場の7カ町。その出し物の形態も様々で、観ることができた人は本当にラッキー!
今年の印象としましては、とにかく人が多い! 昨年の人出は24万人くらいだったそうですが、今年はなんと30万人以上! くんちの3日間がちょうど連休に重なったのと、日蘭友好400年記念イベント「ながさき阿蘭陀年」のキャンペーンが功を奏したのも大きいと思いますが、今年の踊り町の顔ぶれが魅力的であったことも一因かもしれません。 興善町 本踊り「時秋宮日宴弥獅子賑(ときはいままつりのにわにししのにぎわい)」興善町は私の本家がある町です。町の名前の由来は町を開いた博多の豪商・興善氏によります。興善町は古くから大いに発展して町を二分して本興善町と後興善町に分かれましたが、原爆により町が消失したため、新たに他の三つの町の一部もあわせて興善町となりました。現在の町名になってから三度目の奉納踊りになります。 傘鉾の飾(だし)は八つ足に烏帽子、鈴、美しい紅葉です。輪はしめ縄、垂(たれ)は五色の瑞雲が優雅で格調高い風情です。傘鉾も原爆で消失したため、戦後新しい構想のもと新調されました。 興善町の本踊りは能の「石橋」由来した踊りです。文殊菩薩の浄土である清涼山に現われた石橋のもとで、文殊の愛獣である獅子が胡蝶とともに戯れあそぶ様子をあらわした舞いです。 赤獅子2名、白獅子1名、胡蝶が3名。すべて藤間流の名取りの女性が演じていました。 私は観ていて歌舞伎の獅子ものでも女方が演じる「英執着獅子」を思い出しました。歌舞伎ではいくら女方といっても男性ですから、毛振りはかなり力強いです。女性が演じる場合はもうちょっと動きにメリハリをつけたほうが勇ましく見えたんじゃないかなあと思ったりもして(生意気言ってゴメン)。 しかしこの獅子頭、約3キロほどの重さがあるそうです。きっと思いもよらない部分が筋肉痛になったりするのでしょう…。モッテコイではおなじみの「長崎ぶらぶら節」もありましたが、獅子が踊る「ぶらぶら節」というのもなかなかかわいくて良かったです。 庭先回りでは獅子は衣装を変え、勇ましい武者のような衣装で回っていらっしゃるのを見かけました。 八幡町 弓矢八幡祝い船・剣舞・山伏行列八幡町は長崎の町の真ん中を流れる中島川沿いにあり、昔は紙すきが行われていたので紙屋町と呼ばれていました。延宝八年(1680)天台宗の修験者(山伏)がこの地に京都男山八幡宮を観請し白鳩山大覚寺南岳院を創建しました。その時より町名は八幡町となりました。 八幡様は弓矢の神様でもありますので、傘鉾の飾(だし)にも弓矢と八幡様の使いである鳩が配してあります。輪はしめ縄、垂(たれ)にも男山八幡の景色に白鳩二羽が描かれています。おまけに傘鉾の担ぎ手さんの衣装は古風な狩衣仕立て。なんとも神々しく優美です。 先曳きのお子さん達は山伏の扮装で、本物の山伏さんがほら貝を吹きながら登場する後に続いて入場します。 その後、子供の組と、若い娘さんたちの組による剣舞の披露がありました。武道好きとして、出来をとっても楽しみにしてました。 想像していたよりも刀を使っての動きは少なく、扇子や鞘に納まったままの刀を扱う動きが多かったです。赤紫の着物に鉢巻きがとっても素敵でした。 弓矢八幡祝船はのぼりや帆が和風で、ちょっと新鮮でした。根曳きのお兄さん達も勇ましく、船の動きはかなり豪快! 軋む車輪に舞う砂ぼこり!! 途中、船の舳先にある箱を開いて、中から鳩が飛び立つという演出もありました。 どうです?この気合十分のお兄さん達!片肌脱ぎの下の着物の朱色がとっても奇麗。惚れますね。 庭先回りでじっくりと船を見させていただこうと思っていたのだけど、町中ではなかなか会うことができず、最後の最後、船が町へ戻っていくところで追いつきました。暗くてよく見えなかったです。剣舞の方達にもぜひ間近でお会いしたかったな。 万才町 本踊り「祭礼祝長崎万歳(まつりをいわうながさきばんざい)」 万才町が開かれたのは元亀二年(1571)。当時は六つの町からなっていました。町人はすべてサン・パウロ教会の信者であったそうです。六町は戦後統一されました。万才町の名前は明治五年に明治天皇がこの地に滞在されたことに由来します。 傘鉾の飾(だし)は朱盃に鈴と御幣。輪はビロードに金糸で町名の刺繍が入り、垂(たれ)は淡い紅色に鶴が舞い飛び、美しいです。紺色の組み紐との色の合わせが素晴らしいです。 万才町の本踊りは長唄「祭礼祝長崎万歳」を中心に長崎ではおなじみの童謡などをアレンジした曲で町の娘さん達が踊ります。今までまるきり日舞の経験のない方も稽古を重ねて出演されていたそうですが、なんとも日舞は難しい。積み重ねが大事なお稽古事ですので…。 また万才町の特徴としては、演奏に和楽器に加えてキーボードが参加しているという点があげられます。キーボードは上手く使えば演出に広がりが出ると思います。胡弓や鼓の存在感に比べ、まだちょっと使い方が遠慮がちかな、という気がしました。 町中ではよく庭先回り中の万才町さんにお会いしました。おそらくふたてぐらいに分かれて回ってらしたのだと思います。遠くからもあざやかな縞の模様が目につき、すぐに分かりました。 麹屋町 川船寛永末年~正保初年に麹屋町という名の町ができました。ここはかつて酒や味噌をつくるのに必要な麹をつくる職人さんが住んでいた町です。戦後、町の区分が変わり、町の一部が中島川に面したことから川船を奉納しています。 飾(だし)は町名に因んで三枚の「麹ぶた」と、紅・白梅です。梅の古木と苔は本物(花は違います)、なんとも立派な枝ぶりです。麹ぶたに書かれた町名は幕末に長崎に来航した文人・王克三の手によるものです。ふたの裏側にも当て字で町名が印されています。輪はしめ縄。垂(たれ)は三社紋の散らされた綴綾織です。 川船が入場する際、舳先に飾り船頭さんを載せています。飾り船頭さんはたいてい、もの心がついていない小さいお子さんが担当されますので、晴れの舞台でも寝ていたり、むずがったりすることがあるのですが、この船頭さんにはびっくり!入場の時、口をぱくぱくしているので何をしているのかと思ったら、きちんとお囃子にあわせて歌っていたのです!しっかりしてる! 飾り船頭さんは船が定位置に着くと、降ろされます。そして入れ替わりに登場するのが網打ち船頭さんです。その名のとおり、船の舳先から網打ちをして魚を捕獲するという大仕事を担っています。本年その網打ち船頭さんを担当したのは堤由馬君、小学校5年生。お父さんは長崎で有名なイラストレーターさんです。堂々とした面構えはさすが九州男児。惚れます。根曳きさんが地面に置いたつくりものの魚を見事に網の中に捕らえました。大漁のおすそわけとして、飾り船頭さんから紅白のかまぼこがまきものとして配られました。 網打ち船頭さんは私の知るかぎり、すべての網打ちを立派に成功させていました。出番中は始終キリリとした表情を変えず、凛々しかったですが、網打ちが終わって控えの席につく時、ちょっと嬉しそうににっこりしたのが印象的でした。将来が楽しみな少年です。 網打ちが終わると、いよいよ船回しです。お兄さん達も気合十分。真剣な面持ちです。それにしても着物の美しいこと!根曳きさん達の着物には鮮やかな水色に緋鯉が踊り、采振りさん達のものには紺色に真鯉が踊っています。今年より船に改良が加わり、船の上の緋鯉と真鯉に細かい水しぶきがかかる仕掛けになっています。威勢良く回る船の中で懸命に鳴り物を演奏する子供達にも拍手! 根曳きさん達の着物のすそは船もののお約束どおり、波模様です。帯も粋な波模様になっています。船が激しく回ると、着物のすそも翻り、荒々しく波打つ川面を演出します。↑は何度目かの「モッテコイ」で片肌を脱ぎ、必死に船を回すお兄さん達です。 ←庭先回り中の川船の方々の様子、あんまり着物が美しいので、撮ってしまいました。 これだけのものを用意するのにどれだけかかったのでしょう?? つい無粋な事を考えてしまいます…。だって、キレイなんだもん。 こうして見ると、手ぬぐいの模様は傘鉾に因んだ梅、色は着物に合わせて白・紺・赤となっているのがよくわかります。かっちょいい…!! 西濱町 龍船・本踊り「御祭礼囃子川面賑(まつりばやしかわものにぎわい)」西濱町は長崎の港に面した海岸に開かれた町です。もとは濱町として栄えていましたが、寛文十二年(1672)東西の二町に分けられました。 傘鉾は同町内の素封家雪屋森氏が一手で奉納していましたが、現在は森家より町に寄贈されています。 飾(だし)の製作は文化二年(1805)と箱書にある古いもので、港町に因んで貝合わせを入れる箱「貝桶」が二つに、秋らしい紅葉、白菊が配されています。貝桶には源氏物語の絵が描かれています。輪には町名が漢字とローマ字で印されています。垂(たれ)には中国姑蘇十八景が描かれ、長崎刺繍によって装飾されています。こちらの製作は文久二年(1862)。 この垂は前日用のもので、後日には三社紋の入った別の垂と差し変わります。 ←でもってこちらが後日用の垂。こちらもシンプルながら気品があっていいです。輪にローマ字で入った「Nishihamanomati」の文字も見えるでしょうか。なんとも雅やかな傘鉾です。 龍船はその昔、安南国の王女が長崎の貿易商・荒木宗太郎のもとに嫁いで来くる際の行列が大変豪華であったという様子を表現したものです。この嫁入りについては昨年度のくんちレポートにも書きましたが、ゆき姫イチオシの白石一郎先生の短編「朱印船の花嫁」(文春文庫「切腹」収録)に詳しいです。 まず龍船の屋根が両脇にパタンと開き、舞台が登場します。この上で踊る踊り子さんが安南国からの使いを表しているそうです。この使いの方の踊りが終わると、龍船の前で日本の娘を表す別な踊り子さんによる歓迎の踊りがあります。日本の娘さんの衣装の柄は歌舞伎「俊寛」に出てくる浜娘の衣装にも使われている「蛸」の柄と同じでした。これはその衣装を身につけている人が浜の近くで暮らしている事を暗示するものです。 ![]() 個人的な意見ですが、安南国と日本の娘の対比が曖昧でした。安南国の方の衣装をもうちょっと異国風にしたほうが雰囲気がより伝わるかなぁと思います。 踊りが終わるといよいよ龍船の船まわしがはじまります。この船にはブレーキとハンドルがついていて、それぞれを専門に担当する二人の方が船に乗っています。この船はくんち参加船中でも最大の大きさを誇るもので、ぐるんぐるん回るとかなりの迫力です。側にいると、自分の頭の上を龍の首が横切っていくような感覚です。 後から気付いたのですが、龍船が回った時、たてがみが飛んできてとなりに座っていた家人の服にくっついていました。それほどの勢いでもって回るんです。 でもってこちら(→)が今年から龍船に搭載された新兵器。口から煙を「シャーッ」と吐きます。なかなかやる気です。 根曳きさん達の波模様の衣装も奇麗でしょう。黄色の帯とのコントラストもいいです。青と黄色の組み合わせって、好きです。 五島町 龍踊り五島町の町名の由来は、1576年五島家におきた内乱により迫害を受け、長崎に逃れてきた五島領内のキリシタン信者の方達が開いた町であったことから来ているそうです。寛永年間(1624~)には二つに分かれ、海岸沿いを浦五島町、崖下を本五島町といいましたが、現在は両町あわせて五島町になりました。 今年の傘鉾は飾(だし)が本五島町、垂(たれ)が浦五島町のものになっています。飾は虫籠に菊とススキが配されています。虫篭は曲線が優美なナツメ形と六角形の二種が重ねられています。本五島町の傘鉾はシーボルト著「日本」でも紹介されているものです。垂に描かれているのは日本三景です。宮島、松島、天の橋立…だと思います。 五島町さんは今年が初めての龍踊の奉納です。前回までは本踊を奉納されていました。今年は日蘭友好400年の記念の年であり、また辰年も重なった年なのに龍踊を奉納する町が他にありません。県外では「くんち=龍踊」のイメージも根強いので、龍がないのかとがっかりする観光客の方もいるかもしれない…ということで、龍踊に挑戦することを決められたというお話を雑誌で読みました。練習もだいぶ早くからはじめられ、町全体で相当気合を入れて取り組んでおられました。公式サイトはこちらです。 踊り馬場に龍衆と龍囃子の方々が入場してくる様子は圧巻でした。何と総勢100人ほど。入場の時からすでに龍は首を左右にゆっくりと振り、観客をねめつけているようです。はじめに子龍の踊りがありました。幼稚園の年長さんから小学3年生までのお子さんが小さな龍を扱っていました。かなり重そうでした…。踊りはたどたどしくとも、その頑張りは十分観客にひびいて来るものだったと思います。 そして何よりも、子供から大人まで、町全体でくんちに参加して一緒に盛り上げていこうという意気込みが素晴らしいと思いました。こんなに盛り上がっているくんちですが、今後も続けていくためにはもっともっと多くのくんちファンを作っていかないとならない時代なのです…。そのためには、なるべく多くの人が直接・間接的にくんちに接して、その魅力を感じることが大事なのだと思います。 こちらは大人サイズの龍です。重さは150キロもあります。それを10人の龍衆さんが扱います。龍の中でも、特に頭と尾は細かな表情を演出しなくてはならないパートですので難しそうです。龍踊というと、やみくもに龍を動かしているだけだと思っていませんか? 違うのです。龍踊にはストーリーがあるのです。金色の玉は月を表しています。その月を飲み込もうと、龍が追いかけます。しかし、なかなかつかまりません。途中で龍は月を見失います。とぐろを巻いている、自分の体の下に月が隠れているのです。首を左右に振って探しますが、なかなか見つかりません。 首を下げて自分の体の下を眺めてみても、今度は月が上に上がっているので見えません。だんだんとイライラしはじめる龍の怒りを、ゆらゆらと揺れる尾で表現します。そしてついに龍が月を見つけ、自分の胴体の下をくぐって追いかけます。この「静」から「動」へ、空気が変る瞬間が最高の見せ場です。胴くぐりは龍衆さんの腕の見せどころ、はじけたように動き出す龍を本物の生き物のように演じなくてはなりません。この緊張感がカッコ良いのです。龍が動き出すと同時に龍囃子も激しくなり、興奮をあおります。龍衆さん、囃子方さんの衣装もすべて中国風で素敵です。龍衆さんが腰に下げている黄色の布はイナズマを表しています。黒とのコントラストが美しいです。玉を持つ方の光沢のある黄色い衣装と帽子もかわいいです。 銀屋町 鯱太鼓開かれた当初は白銀町・新白銀町と呼ばれていましたが、寛永頃の地図には銀屋町・新銀屋町とあり、正保年間の地図には新銀屋町の町名はなくなり銀屋町のみの町名が記してあるそうです。その名のとおり、金銀細工職人が多く住んでいた町でした。 (2008/11追記:2006年9月、長崎市議会の本会議で『古川町と鍛冶屋町の一部を「銀屋町」「東古川町」の町名に変更する議案』が全会一致で可決されました。2007年1月、銀屋町と東古川町は現町名として復活しました) その昔、尾張徳川家の御用達であったということもあり、傘鉾の飾(だし)は天に昇ろうとしている金色の鯱(しゃち)です。鯱は唐渡りの香炉の飾りのモチーフとしても長崎を代表するものであったということです。金色の鯱のまわりには金銀の水しぶきがゆらゆらと揺れるように取り付けてあります。輪はビロードで、銅版切抜き文字(純金焼付け)による町名が貼りつけてあります。流石!金工職人の町…。 垂(たれ)には荒波が描かれています。 この写真はくんち期間中に寺町を散歩していた時、仏壇屋さんで傘鉾の手入れをしていらっしゃるところに偶然行き当たり、撮らせていただいたものです。とても間近で飾を見せていただいたのですが、くもりひとつなく磨き上げられてピカピカしていました。しぶきの揺れるところがたまらなくカッコイイです!!と言ったら、傘鉾棟梁さん達は笑ってくださいました。ほんと、自慢の傘鉾ですよね。 鯱がくわえている紫色のものは印綬の組紐のようです。この抑えられた配色が渋くて素敵です。 傘鉾が進む時、チリン、チリンと鳴る鈴が中に取り付けてあるのも見せてくださいました。この音をきれいに鳴らすのはとても技術のいることなのだそうです。いいんですよね、この鈴の音がまた…。右上の写真は心棒の下の部分、重しの一文銭を取り付けていらっしゃるところです。 銀屋町は戦前、尾張候のお鷹狩りを模した大名行列「鷹狩りの通り物」を奉納していました。その豪華絢爛さは有名であったそうです。昭和60年に21年ぶりに新たに鯱太鼓を奉納されました。 古代中国には「東の方角大海中に神仙の住む国があり、そこは不老長寿の世界なり」という伝承がありました。その大海中に棲む神仙の鯱が海原を裂き天空めざして昇る時「蓬莱の鯱」となり、やがて蒼天に至り「黄金の龍」となり、人々に「吉祥」を招くという「蓬莱鯱(ほうらいこ)伝説」があります。それを据太鼓と山車により表現したものが鯱太鼓です。はじめに据太鼓の奉納があり、山車が登場します。 ![]() 据太鼓には女性の方も参加してらっしゃいました。とても力強くて美しいです。熱烈なファンになってしまいました。 太鼓のリズムも変化に富み、まったく飽きるということがありません。演奏される方の真剣な表情、姿勢、パワーに圧倒されます。 山車は担ぎ手さん達の唄とともに登場します。山車には櫓太鼓の子供達が乗っています。唄は口伝えで伝承されているものなのだそうです。「ハァ~祝いめでたや(ソーレ)諏訪ん社詣て(ヨーイ)ヤンサのエ~、ホ~エ、ドコイエ~」という「祝いめでた」をはじめ、「木遣りうた」等など。特に「ホーライコー」という掛け声が耳に残ります。くんち終了後だいぶ経ってからもよみがえるほどでした。 そろいの法被がたまりません。白と黒のコントラストが目に鮮やかです。担ぎ手さん達の動きはみごとにピタリとそろっていて、キビキビとして、最高に男前です。山車は前後や左右に動いたり、回ったり、空中に放り投げられたりします。担ぐ方向を変える時は一斉に合図にあわせて担ぎ手さんが持ち手を変えたりします。その呼吸のあった動きには感動します。山車の重量は約1トンにもなるとききました。ちょっと間違えれば大変なことになります。皆さんの懸命な表情には気合がみなぎっています。 右の写真は山車が宙に浮かんだ瞬間です。手の空いた一瞬に担ぎ手さん達が手を打ち、落ちてきた山車を片手ではっしと受け止めます!息を飲む瞬間です。これで惚れなきゃ女じゃないです。掛け声をあげてポーズを決める櫓太鼓の子供達もカッコイイです。自分の子も(いないけど)乗せたくなります。 山車が動くたびに揺れて煌く鯱と水しぶき。唄の意味と詞が分かればより理解が深まって、一緒に歌えて、盛りあがれるだろうなあ~~。 すっかり鯱太鼓バカになった私は、庭先回りを夢中で追いかけてしまいました。幸い福砂屋本店前と大丸前という、庭先回りでもクライマックスにあたる場所で見物することができました。左の写真は崇福寺前付近で遭遇した時のものです(たぶん)。 実は寺町散策の途中にお寺(皓台寺だったような)の入り口付近で太鼓の手入れをしていらっしゃる据太鼓の皆さんを見かけてしまったのです。 私は勇気を振り絞って、憧れの据太鼓のお姉様に声をかけ、一緒に写真を撮らせていただきました。鯱太鼓最高です!とか、あがってしまって妙なことしか言えませんでしたが、思いのたけを聞いていただきました。お姉様は優しく接してくださったばかりでなく、駐車してあったバンの中から手拭いを取り出して、私にくださいました。感激!感涙!ビバ鯱太鼓!! | 伝統・行事・慣習::くんちレポート | 10:57 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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2000,10,27, Friday
くんちとは
くんちは毎年10月7・8・9日に行われる長崎の諏訪神社の大祭です。寛永11年(1634)、当時はまだ丸山にあった諏訪神社が創建当時の古い社殿・拝殿を改築した際、神輿・神具を新調し、ポルトガル人・唐人さんにも目につく港(大波止)に御旅所(神輿を一時運んで安置する所)を定めました。9月7日に遊女高尾・音羽が神前に謡曲小舞を奉納し、午後に神輿が御旅所に渡御。8日が大祭で、御旅所に湯立神事が執行され、9日に神輿は還御されました。この時の流れがくんちの手順として踏襲されました。 諏訪神社 長崎の人は諏訪神社を「お諏訪さん」と呼んで親しんでいます。肥前唐津の金重院青木賢清という修験者が元和2年(1616)長崎へやって来て、キリシタンの横行を嘆き、神道再興のために里民が隠し祭っていた諏訪大神のために西山郷丸山に工を起こしましたが、キリシタンの勢力が強かったため、なにかと苦労を重ねて寛永2年(1625)にようやく小社殿を完成させました。この時、諏訪・森崎・住吉の三社が相殿合祀されました。そのため、諏訪神社の御祭神は次のとおりです。 ◎諏訪大神(健御名方命・八坂刀売命) ◎森崎大神(伊邪那岐命・伊邪那美命) ◎住吉大神(上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命) それぞれの紋は梶の葉・三つ巴・三蓋松で、これを「三社紋」と呼び、くんちに使用される祭具の装飾にもよく使われています。 くんちの語源 もとは菊の節句の9月9日、同じ数字がふたつ並ぶめでたい(中国の思想らしいです)日の「くにち」が「くんち」になったのが語源であるという説が有力です。 踊り町 その年の奉納踊りの当番に当たる町の事です。7年に一度巡ってきます。組み合わせは昔から町の統廃合が行われたり、更に新たに踊り町参加を希望する町も加えられたりなど、度々変化してきました。現在踊り町として出演している町にも、町名変更ですでにもうない町名もありますが、そのもともとの町があった場所にある現在の町の方々が担当されています。7年周期の町の組み合わせは決まっていますが、年によっては、町の都合などで出演されないところもあります。また、祭りの花形として、龍踊などが当番に関係なく特別出演することもあるようです。 年番町・神輿守町 年番町とは、くんちの神事のお手伝いをしたり、「お下り」の神輿行列に参加する町です。踊り町に指定されている町が踊り町の当番の年から4年目に奉仕します。 神輿守町とは、「お下り」「お上り」の際に神輿を担ぐ仕事を担当する町です。踊り町とは別に、踊り町に指定されている長崎市の中心部の町をとりまく外側の町で構成されており、6年一巡で奉仕します。 くんちの流れ 6月1日、「小屋入り」からはじまります。踊り町は役員・出演者揃って諏訪神社・八坂神社の両神社神前で清祓いを受け、大役の無事達成を祈願し、この日からだしものの練習に入ります。昔は小屋を建て、身を清めて練習に専念したため、この行事を小屋入りといいます。 小屋入りの後、くんち関係各所に各踊り町が挨拶にまわる「打ち込み」という行事があります。 10月3日、「庭見せ」。各踊り町町内で、くんちに使用する衣装や小道具、船や傘鉾、楽器などを披露します。あわせてくんち出演者におくられた「御花(お祝いの贈り物)」も披露します。だいたい夕方17時くらいからはじまります。 10月4日、「人数揃い」。午後より、各踊り町周辺にて、町内にだしものの仕上がり具合を披露する行事です。本番同様の進行で行います。 10月7日から3日間が「くんち」本番です。7日朝、まず諏訪神社で奉納踊りがあります。各踊り町があらかじめ決められた順番で登場し、奉納します。 その後順番に移動し、他の各桟敷で披露されます。それが済むと、各踊り町は町中の商店などの店先や玄関先で踊りを披露して回ります(これを「庭先回り」といいます)。 諏訪神社では、午後1時より神輿が御旅所へ渡御する「お下り」があります。 8日には2ヵ所で踊りの披露があり、その後「庭先回り」があります。9日にも2ヵ所での奉納の後、「庭先回り」。 神輿は午後1時に御旅所を出発し、諏訪神社へ還御されます。これが「お上り」です。各踊り町は暗くなるまで「庭先回り」をし、完全燃焼して夜、各町へ戻ります。 定められた各桟敷とスケジュールは以下のとおりです。時間はその年その年で、踊り町の数などにより多少変ります。 7日:諏訪神社(午前7時)、公会堂前(8時)、御旅所(9時頃)、諏訪神社(16時)、公会堂前(17時) 8日:八坂神社(午前7時)、公会堂前(8時頃) 9日:御旅所(午前8時)、諏訪神社(9時頃) 庭先回り 踊り町の出し物が市内の各家や商店、会社銀行官公庁等に敬意を表して踊りを呈上し、お祝い申し上げるという趣旨のものです。 それぞれ短い踊りやお囃子を準備し、各店先や玄関先で披露して回り、「御花」を集めるのです。「御花」は披露に対するお礼・ご祝儀の事です。その場では現金などは渡さず、花の紙(緑のあばれのしの上に赤く「花」と書かれた紙。文房具店などで売られます)に宛名と送り主の住所指名を書いたものを渡します。送り主は後でお金の入ったのし袋を踊り町の町事務所などへ届けたり、町の方が集金にみえた際に渡したりするのだそうです。 傘鉾 傘鉾は踊り町のシンボルです。 ![]() 写真を見ていただくとだいたいの構造がお分かりかと思いますが、上に乗っているものが飾(だし)で、町や出し物に所縁のものが飾られています。 飾の下にぐるっとまるく縁取りをしているものが輪(わ)です。これは飾に因んだ素材が使われています。丸輪・しめ縄・蛇篭の3種類があります。丸輪は竹篭を黒繻子やビロードで包んだもの。しめ縄はたけ篭にわらを張り付け、しめ縄に見せているもので、飾が神社に所縁のものである場合、セットになっています。蛇篭は竹篭の上には何も張らず、中に張りボテの小石を詰めたもので、飾が水に関係するものである場合に用いられます。 輪の下に下がっているものが垂(たれ)です。これも飾に因んだものが描かれたり、諏訪神社の三社紋が描かれています。金糸銀糸を使った立体的で豪華な長崎刺繍がほどこされたものもあります。上に乗った飾や輪の重さとバランスをとるため、真ん中の心棒の足元には一文銭が2千500枚~3千枚ほどゆわえつけられています。 今に残る古い絵などによると、江戸時代の傘鉾は今よりずっと小さかったようですが、現在の傘鉾はとても大きくて重く、130kg以上の重さがあります。傘鉾は屈強の男性がひとりで担ぎます。傘鉾を担ぐ専門職の傘鉾持ちさんです。何人かの交代要員が常に一緒に行動します。傘鉾を担いでいる方は中から前方が見えないので、傘鉾頭領が足元に示す旗を目印に動きます。また、町によって傘鉾の歩き方や回り方には流儀があり、個性を比べて観るのも楽しいものです。 傘鉾をかつぐ傘鉾持ちさんの組は6つ(岩屋、田手原、本河内、三川、女の都、柳谷)あります。 奉納踊りの手順 町によって手順は多少違いますが、おおまかな流れとしてとらえてください。まずはじめに傘鉾がシャギリとともに登場します。シャギリとはお囃子の事で、笛や太鼓を鳴らして傘鉾の登場を告げます。傘鉾が一歩一歩動く度、鈴の音がチリンチリンと鳴ります。その音とシャギリが聞こえると、くんち馬鹿(くんち好き好き人間の事)の血は一気に騒ぐのです。傘鉾は町に所縁の飾などを広く観客に見せるため、踊り馬場を大きく巡ったり、くるくると回ってみせたりします。 メインの出し物が登場する前に、先曳きがあります。その町にお住まいのお子さん達が出し物に因んだ衣装を来て、正装のお母さん(おばあちゃん、お父さん等の場合もあり)に手をひかれて行列して登場し、賑やかな雰囲気を演出します。 その後がいよいよ主役の登場になります。演者が全員揃ったところで礼をして、客席に「まきもの」をします。礼をする時に自分の頭からはずした手拭いや、懐にあらかじめ結んで用意しておいた手拭いを投げるのです。この時はお客さんも必死。なりふりかまわずまきものの争奪戦です。手拭いの他にも、その町の出し物に因んだものを投げる場合もあります。龍踊りの篭町は月餅、川船の麹屋町は紅白のかまぼこもまいていました。 まきものも済んで客席が落ち着いたところで奉納踊りがはじまります。ひととおり終わっても、本踊りの場合は「所望踊り」として何曲かのアンコールがあります。その中にはたいてい「長崎ぶらぶら節」が入ります。客席から「ショモーヤレ」がかかれば、もっと続きます。曳きもの(船、鯨)に「モッテコイ」がかかった場合、引き返して来てさらに船などを回してみせます。途中、勇ましく片肌を脱いでみせ、男気を示す演出もあります。担ぎもの(お神輿スタイルのもの)も同じように引き返してアンコールに答えますが、片肌に脱ぐかわりに羽織っていた半被を一斉に宙に放り上げます。これがまた最高の見せ場になっています。龍踊りのアンコールも「モッテコイ」です。人気者ですからなかなか帰してはもらえません。 くんちの掛け声 くんち見物の観客の掛け声にはきまり事があります。傘鉾の鈴の音がチリンチリンと聞こえてもなかなか登場しない時など、「早く来い」という願いを込めて「モッテコーイ モッテコイ」と声を掛けます。踊りが終了して曳ものや龍、担ぎものが踊り馬場から出ていってしまった時のアンコールでも「モッテコーイ モッテコイ」です。本踊りの場合は「所望するからもう一つやれ」という意味の「ショモーヤレ」を掛けます。他に傘鉾が回る時に「大きく回れ」という意味の「フトーマワレ」という掛け声もあります。また、出し物が見事な場合、感激の「ブラボー」は「ヨイヤァ」です。意味は「良いぞ!」といったところです。 | 伝統・行事・慣習::くんちの基礎知識 | 11:36 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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1999,11,03, Wednesday
平成11年くんち・中日
観てきました。平成11年くんち。踊り町は5カ町。万屋町(鯨の潮吹き)、本石灰町(御朱印船)、船大工町(川 船)、桶屋町(本 踊)、栄町(阿蘭陀万才)です。お菓子や置物など、さまざまなグッズが出ている人気の出し物「鯨の潮吹き」とは一体どのようなものかと興味津々でございました。 中日(10月8日)に長崎に到着し、この日はどこの桟敷の切符も用意していなかったので、とりあえず浜町~桜町~お旅所あたりをうろうろしてみました。 出店を見物したり、武道具屋さんをのぞいたりしながら散策していたら、幸運なことに親和銀行の前でたてつづけに桶屋町、栄町、船大工町に遭遇しました。踊りはあまり良くは見えませんでしたが、船大工の川船は銀行の入り口脇の駐車スペースで網うちから船まわしまでやってくれました。カメラをかまえて人垣の前に座らせてもらい、正面から観ることができました!その後も商工会議所の前でまた阿蘭陀万才に会いました。ほんの一節でしたが、正面から観ることができました。やはり踊りは近くで観ると細部まで見えて、より楽しめます。 期待の鯨にはちょうど行きすぎたところに行き会い、尻尾の先しか見えませんでした。祖母が見たという子鯨にぜひお目にかかりたかったのですが、先はまだまだ長い、この日の追っかけはこの程度におさえて、ひとまず本家に行って帰省のご挨拶。そこで以前庭先まわりがやってきた際の花のお礼を発掘、写真におさめてきました。かっちょいいなあ。 平成11年くんち・後日 朝 後日は朝8:20スタートのお諏訪さんの桟敷席をキープ。初の桟敷にうきうきしながら出かけましたが、かーなり後ろの方…。しかも強い日差しのためか、禁止されているハズの着帽の人が多く、本踊りは人のアタマに隠れてなかなか観ることができませんでした。長坂連のお兄さん達、こういうときは注意するのがお仕事ではー? この日の長崎はほとんど真夏のような暑さでした。うっかり手拭いを持参するのを忘れた私は、かなりミットモナイ日焼けをしてしまいました。腕はしっかりドカタ焼け、首もVネックのTシャツそのまんまにくっきり焼けてしまい、“逆月の輪グマ”呼ばわりされる始末。以前はあったそうなのですが、私は傘鉾が庭先まわりしているのを見たことがありません。見る機会があるのは移動の時と踊り場に出てくる時くらいなので、目をお皿のようにして観察します。船大工町の傘鉾は唯一輪が無いめずらしいもの。飾は中央に三つ巴の金紋を付した木槌。白い縮緬を結わえた陽の矢と、赤い縮緬を結わえた陰の矢が天地を指すように飾られており、歴史を感じさせる優美なものです。 この日はあまりの暑さに耐えかねたのか、鯨を観る前に帰ってしまう人(余所からの観光客の方々)が多く、最後の万屋町の出番の頃は私の桟敷からも踊り場が良く見えました。……喜んで良いのやら…?踊り町の出番は入れ替わったりするのですが、鯨の潮吹きは必ず最後に登場します。なぜなら鯨の吹く潮で踊り場が水びたしになってしまうからです。中に人が二人入り、木製の潮吹きポンプを操作するのですが、二人の息が合わないと奇麗な潮がつくれないそうです。しかし、それにしてもよく吹き上がるものだと感服しました。これでもかというくらい“もってこい”に応えてくれ、よく水が足りるものだと感心しました。 最後まで観ていましたが、期待の子鯨は出て来ません。祖母が見たという子鯨は幻だったのでしょうか? 祖母は鯨の尻尾(まるくてかわいい形をしています)を子鯨と見間違えたのではないか?と母が言い出し、一同釈然としないままお諏訪さんを後にしました。 平成11年くんち・後日 午後 お諏訪さんの近所ではセミが鳴いておりました。そのくらい暑い日でした。それでも私はカッコ悪い日焼けをしてしまったショックにふらつきつつ、後日も追っかけです。ターゲットはまだ町なかで遭遇していない鯨と御朱印船!お諏訪さん近辺~会える確率の高そうな丸山町辺りへ行ってみますと、またしても栄町と桶屋町に遭遇。ついでに船大工町と本石灰町の船格納庫を発見。地元の盛り上がっている様子に心が浮き立ちます。 ![]() 栄町の阿蘭陀万才 ![]() 桶屋町の本踊(遭遇現場はカステラの福砂屋本店前) さらに鯨と御朱印船を求めて出島町~江戸町をさまよい、ようやく遠くから聞こえてくる御朱印船のエキゾチックな鳴り物の音をキャッチ!すかさず走って追いかけます。御朱印船はその昔、アジアの海を股に掛けて活躍した荒木宗太郎という長崎の貿易商が、ベトナムの王女をお嫁さんにして長崎へ帰ってきた時の様子を再現した出し物です(その際の行列がどんなに華麗だったかを記した記録は残っていないけれど、長崎には豪華で賑やかな様を「アニオーさんの行列のごたる」と例えていう表現が残っています)。しかし私が船に追いついた時、船主である荒木宗太郎とアニオーさんは不在でちょっとさみしい印象でしたが、赤くて壮麗な船体が美しく、逆さVOC印がおしゃれでした。くんち後だいぶたってから白石一郎の短編に「朱印船の花嫁」(文春文庫「切腹」収録)というタイトルのものを見つけ、思わず熱くなってしまいました。宗太郎とアニオーさんの出会いやその後が(おそらく)史実に忠実に描かれています。くんち前に読んでおけば、いっそう趣きが増したかもしれません。鎖国が厳しくなる以前の、朱印船貿易が盛んだった頃の長崎の空気が伝わってきます。ぜひ御一読を。 平成11年くんち・後日 夜 鯨にはなかなか出会えず夜になってしまいました。しかし、姫の叔父御が鯨格納庫のすぐ隣りに住んでいるため、いざとなったら格納庫まで見に行くからいいもんね~と思い、夜ご飯を食べに新地(中華街)に行きました。この日は叔父が予約しておいてくれた京華園の個室で会食。大量のごちそうでお腹が苦しくなってきたころ、遠くから聞こえてくるのは御朱印船の音……。お部屋の窓を開けるとすぐ目の前が新地の門、ちょうど船が門をくぐって来る所を写真に収めました。宗太郎とアニオーさんも乗っているフルバージョンです。 そして!なんと!ついに来ました鯨の潮吹き!お諏訪さんで観た時には登場せず、幻ではないかと思われていた子鯨も一緒です!窓から落ちそうになりながら写真を撮りました!手すりまで写っているところに臨場感が溢れているでしょ?新地の真ん中の狭い道でも鯨は潮吹きまくりの大暴れでした。鯨を真上から見物することができるなんて、めったにない経験でしょう~。 ![]() おおっっ!!鯨だ~~ ![]() 子鯨もいるぞ!! ![]() 往来でこんなに潮吹いていいの?ってくらいの大騒ぎ! 平成11年くんち・後日 まだ続く 良いこころもちで新地を後にし、ふらふら浜町を歩いていると、前方に人だかりが。その中心にはやっぱり大暴れの鯨がいました。浜町アーケードの天井の蛍光燈が鯨の潮で水びたしになっているのに、びくともしていない様子でした。ひょっとして鯨用に防水対策が施してあるのでしょうか?庭先まわりも地元万屋町そばのアーケード内でフィナーレを迎え、鯨の内部でポンプを操作してらした方も出て来られ、鯨行列の先鋒をつとめていた船頭役の子供達や、最後尾に着いていた水補給係の赤帽の方々もほっとした様子。脇では鯨の骨組みを造られた職人のおじいさんが、今回の仕事が最後ということでTV局のインタビューを受けていらっしゃいました。天然素材で造られた骨組みの鯨はこれが最後。次回からはプラスチックの骨組みになるそうです。職人技を継承してくれる方が、どなたかいてくれれば嬉しいのですが…。 部外者がくっついて行ってはお邪魔だろうと遠慮して道を迂回しながら叔父の家に向かっていると、また鯨の隊列に出会ってしまいました。叔父の家が鯨格納庫の隣りなので、当然といえばそうなのですが。出会ったついでに最後まで見届けようと決意。三本じめまでご一緒させていただきました。添根曳さんのもんもん柄の肌着が間近に見られて感動。かっちょいいぜ!! 鯨も御酒をかけられて、ようやく一息といった表情。とにかくお疲れ様でした&ありがとう! ![]() どさくさまぎれに子鯨と握手!! | 伝統・行事・慣習::くんちレポート | 12:08 AM | comments (x) | trackback (x) | |
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1999,10,14, Thursday
精霊流しという行事は、全国に様々あるようですが、長崎の精霊流しほど風変わりなものもないでしょう。この「精霊流しについて」では、私の知っている長崎市中心部の精霊流しについて、書いていきます。長崎では、初盆を迎えたお家で精霊船をつくります。全長10メートルを越すような大きなものから、ひとりで軽く肩にかつげるくらいの小さなものまでありますが、亡くなった人の御霊を送る気持ちは皆同じだと思います。江戸時代に描かれた『長崎名勝図絵』などによると、元来の船は1~6人くらいでかつぐスタイルであったようです。明治に入るとだんだん船が巨大化しはじめ、明治20~30年代頃に確立されたスタイルが現在のものの原形となっているようです。 本来、船は藁や竹、藁縄などを用いて造られました。江戸期くらいまでは竹で船の形を作り、麦わらであんだ、1メートルから1メートル50センチくらいの大きさの船を市場などで購入し、それぞれの家で装飾を施していたようです。竹などで胴の上部に家を作り、中央に帆柱を立て、五彩七色の紙を短冊型に切り六字の名号、七字の題目、仏画などをかいて帆柱に結びつける。家の屋根などに色紙を貼ったり、芭蕉の葉などをふいたり。舳先部分は杉の葉などで蔽ってそれに線香筒などを差し込んでおく……そのようなスタイルだったようです。 さて、現在のスタイルを説明する前に、長崎のお盆のお墓参りスタイルについてお話しいたしましょう。 8月14、15日はお墓参りの日です。初盆のお家は13日と16日にもお参りをします。お盆には、お墓に提灯をつるします(初盆には提灯を新調するのが習わしのようです)。長崎のお墓にはちゃんと提灯つるし用の竿を立てる穴があります。夕方頃から親族が集まり、掃除をしたり、お花やお水を替えたりなどの準備をはじめ、夕刻になったら提灯に火を入れ、用意してきたお弁当やお酒などで宴会をはじめます。そしておもむろに新地(中華街)の花火専門店などで仕入れておいた花火をはじめます。暗くなる前から「やびや(ロケット花火)」をしたり、パラシュート花火を打ち上げたりもします。もう子供は大喜び。大の大人が自らすすんで花火を楽しみます。これが長崎スタイル。長崎人はありとあらゆる種類の花火に精通していますよ。 夜、花火と食料がなくなるまで宴会は続きます。皆、自分の家だけでなく、親戚のお墓などにも廻ってお参りをします。親族が集まってご先祖様と一緒に宴会をするといった感覚でしょうか。 長崎は平地が少ないので、たいていの墓地は山の斜面にあります。下から見上げても、上から見下ろしても、あちこちのお家のお墓のにぎやかな様子がうかがえます。お盆の墓地の夜の景色は、提灯や花火の火で美しく飾られ、えもいわれぬ美しさです。これが長崎のお盆のお墓参りです。 | 伝統・行事・慣習::精霊流しのすべて | 11:34 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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1999,10,14, Thursday
現在では船の原形は大工さんなどに頼んで造っていただきます。形のできあがった船にそれぞれの家で飾り付けをします。今では船を海にそのまま流すことはしませんので、かなりの大きさですから。明治期には全長が5、60メートルにもなる巨大な船が登場したこともあったそうですが、現在は大きさにも制限があります。しかし、一般的な大きさのものでもかなり重さになりますので、ほとんどの船にはタイヤがついており、転がして移動できるようになっています。でも、引っ張って歩くだけでもけっこうな重労働なのですよ。 船を造るのにはもちろんお金もかかります。町内でお金を出し合い、数家族一緒に仲良く御霊を乗せて流す場合(もやい船)もありますし、故人の遺言で船は造ってくれるなという場合もあります。派手なことが苦手だった私の祖母の時には、2人でかつぐくらいの大きさの船を造りました。 現在の船の構造の中でも、高い技術が必要とされるのは、先端部分の“みよし”です。ラッパ状に先が開いた筒状の飾りです。竹で骨組みをつくり、ゴザなどで蔽って形をつくります。表面は杉の葉などで蔽い、開いた先端部分(平面鏡)には赤色の紙を貼り、白抜き文字で家名や町名などを入れます。 写真の船は私の母方の祖父のものです。祖父は園芸が得意で植物が大好きな人でしたし、洒落者でしたので、船の飾り付けは古風に、なるべく生花や天然の素材を使い、あまりにぎにぎしくならないよう気を配りました。こういったことも送る側の人間のこだわりでしかないのですが、いなくなってしまった人を思う気持ちがつい、こだわらせてしまうのでしょう。我が家はあくまでオーソドックスにこだわりましたが、亡くなった人の好きだったものにちなんだ船も多いです。ラスタカラーに塗られた船や、“猫バス”の形をした船を見たこともあります。新地(中華街)関係者の船には龍を模った船も見られます。表現は家それぞれです。 | 伝統・行事・慣習::精霊流しのすべて | 10:45 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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1999,10,14, Thursday
船の装飾が終わると、船の家部分の一番前の高い位置に亡くなった人の遺影を飾ります。これで船が誰の船なのかが分かるようになります。また、お仏壇に供えていた野菜・果物・菓子・ご飯などの供物を藁で包み、船に乗せます。初盆でないお家や船を出さないお家も、同じように供物を包み、自分で港(大波止)に持っていくか、町内で出す船に一緒に乗せてもらいます。船のかつぎ手には親族や友人など、体力のある人を頼みます。揃いの家名入りのハッピなどを着込み、腹掛け、足袋、鉢巻きなどで気合を入れます。あと、忘れてはならないものが“耳せん”。爆竹の爆音がすさまじいからです。この時期になると、薬局でも目立つところに置いてあります。お盆時期の長崎の耳せん売上高は、おそらく耳せんメーカーの年売上高の相当部分を占めているのではないかと推察されます(大げさ)。 夕方、頃合いを見計らって出発です。終点の港(大波止)をめざして辻々から船が合流して来ますので、なかなかスムーズに進むのは難しいのです。 精霊船の隊列の構成は次のようになっています。(1)家名入り提灯を持って先導する人 (2)印灯篭 (3)双盤(鉦) (4)精霊船 (5)つきそいの人々 これだけの人数が何時間もかけて移動します。真夏のことですし、喉もかわきますので、飲みもの等も船に積み込むか、カートなどに載せていっしょに移動したりします。他に必要なものといえば「花火」です。移動しながら花火をします。メインの爆竹はダンボール単位で購入しておきます。こういったものも船に積み込みます。 上の写真の手前に写っているのがは印灯篭です。四角いものが多いですが、故人が好きだったものにちなんで、果物や花の形をしたものなども見られます。四角いものでも、片面に美人画やお酒などの嗜好品の絵が入る例も多いようです。スタンダードな例では家紋・家名などが入ります。中に火が入り、暗くなってからでもよく見えるようになっています。 右の写真の手前にいるのが(1)の先導する人です。御用提灯のような形の提灯を使用しています。写真には写っていませんが、(3)の双盤は鉦(かね)です。見かけは銅鑼(ドラ)に似ています。小さいものでしたらひとりで片手に持って、もう一方の手で鳴らしますが、たいていは大きくて重いので、棒に吊るしてふたりで棒の端をかつぎ、そのうちの後ろの人が鳴らします。双盤の音の鳴らし方によって船を先導します。進む時は一定の間隔で鳴らし、止まる時は細かく早く鳴らします。 | 伝統・行事・慣習::精霊流しのすべて | 09:33 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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1999,10,14, Thursday
町なかまでの道のりは、たまに爆竹を鳴らしつつ、かなりゆっくりと進みます。暗くなってきたら提灯に火を入れます。船に発電機を乗せ、提灯に電球を使用しているお家も多いようですが、古風にこだわった我が家では、高くて手が届かない部分以外はホンモノの火を使いました(火を使うと、気をつけないとたまに提灯の紙に火がうつって燃えてしまうことがあります。燃えてる提灯に気付いたら教えてあげましょう)。 電気を使用しないと、たくさん居並ぶ船の中で、渋すぎて目立たなくなることもありますが、何とも言えない落ち着いた風情があって良いのです。 町なかに到着し、見物人も多くなってくると、花火に火をつける回数が増えてきます。実はこの花火、点火することができる人は決まっています。赤いたすきをかけている人がそうです。精霊船を出す家は、あらかじめ代表者を警察署で行われる講習会に出席させなければなりません。その際に渡されるたすきをかけた人のみが花火をしても良いことになっています。ですが、それはあまり守られてはいないようです。みーんな、特に若い衆、火をつけてます。当然警備のおまわりさんも多数道端に立っていらっしゃいますが、それに関しては黙認のようです。 | 伝統・行事・慣習::精霊流しのすべて | 08:44 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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1999,10,14, Thursday
禁止されている花火もあります。お墓参りで大活躍する「やびや(ロケット花火)」も禁止です。これはどちらに飛んでいくかわからないので、危険だということだと思います。破壊力の大きいラージサイズの爆竹(花火文化が発達している地域以外にお住まいの方はご覧になったことがないかもしれませんが、実在するのです)も禁止です。普通サイズの爆竹を束にして火をつけることも禁止されています。でも、守られていません。毎年必ずダンボールいっぱいに入った爆竹に点火する人がいます。火柱が5メートルくらい上がるのを見たことがあります。路面電車の電線が焼けるのではないかと心配になりました。以前はそれも黙認でしたが、今はダメです。おまわりさんに捕まって怒られますのでやめましょう。 他にも禁止事項があります。船を回してはいけないのです。若くてノリの良いかつぎ手さん(曳いてるんだけど)が多い船だと、ついノリでくるくると船を回転させたくなるようです。これは長崎名物の秋のお祭り「おくんち」の出し物の影響だと思いますが、精霊船はあくまで御霊を送る行事です。お祭りではありません! 船を回したりしたらご先祖様が難破してしまう(by 長崎郷土史家・越中先生)かもしれません。そうしたら、何のための精霊流しでしょうか? 危ないですし、ぜったいダメです!(注1) 終点にあたる大波止の手前に県庁坂というちょっと長い坂(上って、下るようになります)があります。ここが船を見物するのには一等席とされているようです。テレビ中継(長崎の夏の風物詩)も県庁坂で撮影しているようです。県庁坂の上り坂を駆け上がるのもカッコ良いとする風潮があるようですが(これも「おくんち」の影響かも…)、くどいけど、あくまでお祭りではありませんので、なるべくしずしずと行くべきです。(注2) 故人と縁の薄いヘルプの若い衆が花火で盛り上がって気分が高揚するのもわかりますが、遺族の気持ちになってみればわかるはずです。 県庁坂を下ってしばらく進むと終点・大波止です。ここに係の方が待機していますので、手早く精霊船から遺影や発電機などの大事なものや借り物をはずし、解体してもらいます。あとは船に積み込まれ、焼却場所である離島へ運ばれます。かなりせつない光景です。でも、感傷にひたっている余裕はありません。 この日はバスも大混雑、タクシーもつかまえられないかもしれませんが、徒歩でもなんでもとにかく素早く帰宅して、親戚やお手伝いに集まってくださった他家の方をもてなす宴会の進行をしなくてはなりません。どんなに疲れていても、近親者には酒屋への使い走りや配膳などのお仕事が待っているのです。またしてもお盆の宴会は続きます…。(完) 注1:「おくんち」の出し物の中でも曳きもの(船等)などは、くるくると回してみせるのが最高の見所になっています。くんちだったら格好良いけどね…。 注2:「おくんち」の御神輿が諏訪神社~お旅所間を移動する「おくだり」「おのぼり」というイベントがあります。御神輿は行列を組んでしずしずと進みますが、県庁坂と神社の長い石段は駆け上ってみせてくれます。かつぎ手の心意気を見せる、人気の見所となっています。 | 伝統・行事・慣習::精霊流しのすべて | 06:52 PM | comments (x) | trackback (x) | |
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1998,11,29, Sunday
■踊り町
篭町 龍踊 江戸町 オランダ船 魚の町 川船 今博多町 本踊 玉園町 獅子踊 ![]() ![]() ![]() ![]() | 伝統・行事・慣習::くんちレポート | 02:55 AM | comments (x) | trackback (x) | |


















































ついでの話ですが、銅座町に飾ってあった巨大桃カステラは、後日私のおなかにおさまりました(左は証拠写真)。
ええっと…前述のとおり、今回はくんちの夕べの公会堂での観賞だったため、光不足とポジション取りの難しさのためロクな写真が撮れませんでした。なので庭先まわり追っかけ写真レポートということでご勘弁。東濱町の竜宮船に会えなかったので(あんなにデカいのに…)、東濱町がらみのレポートはありません。こっちもご容赦。
2枚目は今回物議をかもした八坂町の川船。なぜなら、長いくんちの歴史の中でも、はじめて女性の根曳きさんが参加されたからです。私はこれに対し、特に反対でも賛成でもありませんでしたが、実際に観てみてビックリ!素晴らしかったです。
上町(本踊り)
メインは丸山検番のお姉さん達による本踊り(検番さんというのは、芸者さんのことです)。前年、我が家が丸山の花月で宴を催した際、検番さん3人に来ていただいたのですが、その時いらした音羽ねえさんが出演されるということで、皆で楽しみにしていたのでした。やはり音羽ねえさんはきれいで、目立っていました。
油屋町(川船)

元船町(唐人船)
傘鉾は竜宮門の前に立つ千里眼と順風耳。どちらも航海の守り神・媽姐(まそ)様の親衛隊ですね。銀の波がゆらゆらします。全体に色使いがポップでキュートな感じです。
唐人船は赤・白・黒の色が鮮やかで、帆がぱたぱたするところがとってもそれらしく、白石一郎の海洋小説ファンとしては、見てるだけでわくわくさせられます。目玉みたいなのが描いてあるところもとても中国風でいいです。
鍛冶屋町(宝船)


注目は靴。おそらくキャラクター的に草履を履いていたり裸足だったりする神様もいるのでしょうが、ここの神様達は庭先回りなどもなさりますから、歩きやすそうな靴を履いていらっしゃいます。でも、ただのクツではないですよ。室内履き風の靴なのですが、着物の共布を使ったり、ファー付き(毘沙門天)だったり、衣装にあわせて違和感のないようなデザインになっており、目を惹きました。
筑後町(龍踊)
複数の龍がいる場合、もちろん観ている方は共演を期待してしまいます。今回は3匹が同時に登場してずぐらの形(とぐろを巻いている状態)になり、同じタイミングで玉を見つけて玉追いをしたり、踊り馬場をめいいっぱい使った演出がみられました。

時間を見計らって市役所前あたりでお下りを見物。今年は傘鉾パレードもばっちり観ましたよ。県庁坂付近に比べて見物人が少ないので、写真もよく撮れます。朝、公会堂前で転倒してしまった傘鉾も、修繕されて元気にたくさん回っていました。ところどころで立ち止まって、すべての傘鉾が同時に回る姿は壮観です。鍛冶屋町のカラクリ傘鉾も近くで観られるし、ギャラリーは大喜びでした。
行列がすべて通りすぎたら、今度は裏の道を通ってお旅所手前に先回りします。ちょうどお神輿が走り始める瞬間を激写できました。これで去年の雪辱は晴らしたね!
さっそく中央公園に移動。運良く鍛冶屋町さんが出番待ちをしているところでした。実は鍛冶屋町の傘鉾を担当していらっしゃる中川組の方とは掲示板でお話しをしたことがあるのです。勇気を出して声をかけてみました。いきなり本番前にやってきた私にみなさんとっても親切にしてくださって、記念撮影させていただいたり、傘鉾の中に入れていただいたり! 本当にどうもありがとうございました。
博物館
前日
次は諏訪町の「龍踊り」。白龍と青龍のダブルの龍踊り、何年も前から楽しみにしてたのだ~。
新大工町の「引壇尻」にも興味津々だったんだよ~。丸山の料亭花月の庭に「壇尻」とだけ紹介されている木の枠組みみたいなものを見てから、ずっと気になってだんだよね…。新大工町のものは極彩色の壮麗なものでした。大工さんが仕事している様子を描いたレリーフがグゥ。衣装の色使いにも卓抜したセンスが感じられます。
金屋町の「本踊り」、私けっこう好き。上手かったですよー踊り。やはり日舞はきちんとしたキャリアのある方が担当されるのが良いですね。安心して観ていられます。長年やってきたプライドをかけてくんちに臨んでいらっしゃる迫力があります。
榎津町の「川船」。榎津町さんの
最後は賑町の「恵美須船」。船の舳先に乗ったエビスさんが釣り糸をたれ、本物の活きたタイを釣りあげます。けっこう大きなタイなので、重いのではないかな。それにしても、エビスさんのお化粧って不思議。ちょっと時代劇の“悪”メイク入ってるような?
息のあった回しっぷりと落ち着きには感心しました。
お下り
ノー!なんということでしょう。苦労して待ったというのに、すぐそこでくるくる回転したりして愛嬌を振りまいている傘鉾さん達が全く見えません!!ダー(涙)。視界を遮っているのはお御輿。「どけ」とも言えず。トホホです。来年こそ…。
中日
大波止もウロウロしてみました。お旅所で「くんち期間限定 くんちみくじ 初穂料200円」を発見。ルックスがいつもお正月のお諏訪さんで引いている「プチ七福神付きおみくじ」にそっくりだったため、「くんちみくじということは、プチ龍とかプチ川船が入ってたりするのかも~!」と期待し、うきうきと引いてみました…が…ただのおみくじでした。何のおまけも付いてません。なぜに「くんちみくじ」…? しかも200円。
昼まではなかなかのお天気でしたが、夕方からちょっと雲行きが怪しくなり、庭先まわりの各町の方々も船にビニールをかけたり、苦心されている様子でした。
後日
さあ、後は追っかけファイナル、浜町の大丸前です。今回は金屋町、賑町、諏訪町を見ることができました。
子龍(青龍)と白龍がやってきて、集まったくんちバカのボルテージも上がりっぱなし。私も出来るかぎりの大声で「もってこい」をかけました。後日の大丸前には、一度観たら逃れられない魔力があります。あの独特な場の盛り上がりは、その場に参加した者にしかわからないかも。体力つけて、来年も行くもんね!…あと、龍踊ファンの方に是非見ていただきたい画像が
興善町 本踊り「時秋宮日宴弥獅子賑(ときはいままつりのにわにししのにぎわい)」
赤獅子2名、白獅子1名、胡蝶が3名。すべて藤間流の名取りの女性が演じていました。
しかしこの獅子頭、約3キロほどの重さがあるそうです。きっと思いもよらない部分が筋肉痛になったりするのでしょう…。
八幡町 弓矢八幡祝い船・剣舞・山伏行列
八幡様は弓矢の神様でもありますので、傘鉾の飾(だし)にも弓矢と八幡様の使いである鳩が配してあります。輪はしめ縄、垂(たれ)にも男山八幡の景色に白鳩二羽が描かれています。おまけに傘鉾の担ぎ手さんの衣装は古風な狩衣仕立て。なんとも神々しく優美です。
想像していたよりも刀を使っての動きは少なく、扇子や鞘に納まったままの刀を扱う動きが多かったです。赤紫の着物に鉢巻きがとっても素敵でした。
途中、船の舳先にある箱を開いて、中から鳩が飛び立つという演出もありました。
万才町 本踊り「祭礼祝長崎万歳(まつりをいわうながさきばんざい)」
万才町の本踊りは長唄「祭礼祝長崎万歳」を中心に長崎ではおなじみの童謡などをアレンジした曲で町の娘さん達が踊ります。今までまるきり日舞の経験のない方も稽古を重ねて出演されていたそうですが、なんとも日舞は難しい。積み重ねが大事なお稽古事ですので…。
また万才町の特徴としては、演奏に和楽器に加えてキーボードが参加しているという点があげられます。キーボードは上手く使えば演出に広がりが出ると思います。胡弓や鼓の存在感に比べ、まだちょっと使い方が遠慮がちかな、という気がしました。
麹屋町 川船
川船が入場する際、舳先に飾り船頭さんを載せています。飾り船頭さんはたいてい、もの心がついていない小さいお子さんが担当されますので、晴れの舞台でも寝ていたり、むずがったりすることがあるのですが、この船頭さんにはびっくり!入場の時、口をぱくぱくしているので何をしているのかと思ったら、きちんとお囃子にあわせて歌っていたのです!しっかりしてる!
飾り船頭さんは船が定位置に着くと、降ろされます。そして入れ替わりに登場するのが網打ち船頭さんです。その名のとおり、船の舳先から網打ちをして魚を捕獲するという大仕事を担っています。
網打ちが終わると、いよいよ船回しです。お兄さん達も気合十分。真剣な面持ちです。それにしても着物の美しいこと!根曳きさん達の着物には鮮やかな水色に緋鯉が踊り、采振りさん達のものには紺色に真鯉が踊っています。今年より船に改良が加わり、船の上の緋鯉と真鯉に細かい水しぶきがかかる仕掛けになっています。
根曳きさん達の着物のすそは船もののお約束どおり、波模様です。帯も粋な波模様になっています。船が激しく回ると、着物のすそも翻り、荒々しく波打つ川面を演出します。
西濱町 龍船・本踊り「御祭礼囃子川面賑(まつりばやしかわものにぎわい)」
この垂は前日用のもので、後日には三社紋の入った別の垂と差し変わります。
龍船はその昔、安南国の王女が長崎の貿易商・荒木宗太郎のもとに嫁いで来くる際の行列が大変豪華であったという様子を表現したものです。この嫁入りについては昨年度のくんちレポートにも書きましたが、ゆき姫イチオシの白石一郎先生の短編「朱印船の花嫁」(文春文庫「切腹」収録)に詳しいです。 
後から気付いたのですが、龍船が回った時、たてがみが飛んできてとなりに座っていた家人の服にくっついていました。それほどの勢いでもって回るんです。
五島町 龍踊り
五島町さんは今年が初めての龍踊の奉納です。前回までは本踊を奉納されていました。
踊り馬場に龍衆と龍囃子の方々が入場してくる様子は圧巻でした。何と総勢100人ほど。入場の時からすでに龍は首を左右にゆっくりと振り、観客をねめつけているようです。
こちらは大人サイズの龍です。重さは150キロもあります。それを10人の龍衆さんが扱います。龍の中でも、特に頭と尾は細かな表情を演出しなくてはならないパートですので難しそうです。
首を下げて自分の体の下を眺めてみても、今度は月が上に上がっているので見えません。だんだんとイライラしはじめる龍の怒りを、ゆらゆらと揺れる尾で表現します。そしてついに龍が月を見つけ、自分の胴体の下をくぐって追いかけます。この「静」から「動」へ、空気が変る瞬間が最高の見せ場です。胴くぐりは龍衆さんの腕の見せどころ、はじけたように動き出す龍を本物の生き物のように演じなくてはなりません。この緊張感がカッコ良いのです。龍が動き出すと同時に龍囃子も激しくなり、興奮をあおります。
銀屋町 鯱太鼓
その昔、尾張徳川家の御用達であったということもあり、傘鉾の飾(だし)は天に昇ろうとしている金色の鯱(しゃち)です。鯱は唐渡りの香炉の飾りのモチーフとしても長崎を代表するものであったということです。金色の鯱のまわりには金銀の水しぶきがゆらゆらと揺れるように取り付けてあります。
この写真はくんち期間中に寺町を散歩していた時、仏壇屋さんで傘鉾の手入れをしていらっしゃるところに偶然行き当たり、撮らせていただいたものです。

山車は担ぎ手さん達の唄とともに登場します。山車には櫓太鼓の子供達が乗っています。唄は口伝えで伝承されているものなのだそうです。「ハァ~祝いめでたや(ソーレ)諏訪ん社詣て(ヨーイ)ヤンサのエ~、ホ~エ、ドコイエ~」という「祝いめでた」をはじめ、「木遣りうた」等など。特に「ホーライコー」という掛け声が耳に残ります。くんち終了後だいぶ経ってからもよみがえるほどでした。
そろいの法被がたまりません。白と黒のコントラストが目に鮮やかです。担ぎ手さん達の動きはみごとにピタリとそろっていて、キビキビとして、最高に男前です。
すっかり鯱太鼓バカになった私は、庭先回りを夢中で追いかけてしまいました。幸い福砂屋本店前と大丸前という、庭先回りでもクライマックスにあたる場所で見物することができました。左の写真は崇福寺前付近で遭遇した時のものです(たぶん)。
観てきました。平成11年くんち。踊り町は5カ町。万屋町(鯨の潮吹き)、本石灰町(御朱印船)、船大工町(川 船)、桶屋町(本 踊)、栄町(阿蘭陀万才)です。
出店を見物したり、武道具屋さんをのぞいたりしながら散策していたら、幸運なことに親和銀行の前でたてつづけに桶屋町、栄町、船大工町に遭遇しました。踊りはあまり良くは見えませんでしたが、船大工の川船は銀行の入り口脇の駐車スペースで網うちから船まわしまでやってくれました。カメラをかまえて人垣の前に座らせてもらい、正面から観ることができました!
期待の鯨にはちょうど行きすぎたところに行き会い、尻尾の先しか見えませんでした。祖母が見たという子鯨にぜひお目にかかりたかったのですが、先はまだまだ長い、この日の追っかけはこの程度におさえて、ひとまず本家に行って帰省のご挨拶。そこで以前庭先まわりがやってきた際の花のお礼を発掘、写真におさめてきました。かっちょいいなあ。
この日の長崎はほとんど真夏のような暑さでした。うっかり手拭いを持参するのを忘れた私は、かなりミットモナイ日焼けをしてしまいました。腕はしっかりドカタ焼け、首もVネックのTシャツそのまんまにくっきり焼けてしまい、“逆月の輪グマ”呼ばわりされる始末。
この日はあまりの暑さに耐えかねたのか、鯨を観る前に帰ってしまう人(余所からの観光客の方々)が多く、最後の万屋町の出番の頃は私の桟敷からも踊り場が良く見えました。……喜んで良いのやら…?
お諏訪さんの近所ではセミが鳴いておりました。そのくらい暑い日でした。それでも私はカッコ悪い日焼けをしてしまったショックにふらつきつつ、後日も追っかけです。ターゲットはまだ町なかで遭遇していない鯨と御朱印船!

さらに鯨と御朱印船を求めて出島町~江戸町をさまよい、ようやく遠くから聞こえてくる御朱印船のエキゾチックな鳴り物の音をキャッチ!すかさず走って追いかけます。御朱印船はその昔、アジアの海を股に掛けて活躍した荒木宗太郎という長崎の貿易商が、ベトナムの王女をお嫁さんにして長崎へ帰ってきた時の様子を再現した出し物です(その際の行列がどんなに華麗だったかを記した記録は残っていないけれど、長崎には豪華で賑やかな様を「アニオーさんの行列のごたる」と例えていう表現が残っています)。しかし私が船に追いついた時、船主である荒木宗太郎とアニオーさんは不在でちょっとさみしい印象でしたが、赤くて壮麗な船体が美しく、逆さVOC印がおしゃれでした。
鯨にはなかなか出会えず夜になってしまいました。しかし、姫の叔父御が鯨格納庫のすぐ隣りに住んでいるため、いざとなったら格納庫まで見に行くからいいもんね~と思い、夜ご飯を食べに新地(中華街)に行きました。この日は叔父が予約しておいてくれた京華園の個室で会食。大量のごちそうでお腹が苦しくなってきたころ、遠くから聞こえてくるのは御朱印船の音……。お部屋の窓を開けるとすぐ目の前が新地の門、ちょうど船が門をくぐって来る所を写真に収めました。宗太郎とアニオーさんも乗っているフルバージョンです。 


良いこころもちで新地を後にし、ふらふら浜町を歩いていると、前方に人だかりが。その中心にはやっぱり大暴れの鯨がいました。浜町アーケードの天井の蛍光燈が鯨の潮で水びたしになっているのに、びくともしていない様子でした。ひょっとして鯨用に防水対策が施してあるのでしょうか?
精霊流しという行事は、全国に様々あるようですが、長崎の精霊流しほど風変わりなものもないでしょう。この「精霊流しについて」では、私の知っている長崎市中心部の精霊流しについて、書いていきます。
本来、船は藁や竹、藁縄などを用いて造られました。江戸期くらいまでは竹で船の形を作り、麦わらであんだ、1メートルから1メートル50センチくらいの大きさの船を市場などで購入し、それぞれの家で装飾を施していたようです。
8月14、15日はお墓参りの日です。初盆のお家は13日と16日にもお参りをします。お盆には、お墓に提灯をつるします(初盆には提灯を新調するのが習わしのようです)。長崎のお墓にはちゃんと提灯つるし用の竿を立てる穴があります。
現在では船の原形は大工さんなどに頼んで造っていただきます。形のできあがった船にそれぞれの家で飾り付けをします。
現在の船の構造の中でも、高い技術が必要とされるのは、先端部分の“みよし”です。ラッパ状に先が開いた筒状の飾りです。竹で骨組みをつくり、ゴザなどで蔽って形をつくります。表面は杉の葉などで蔽い、開いた先端部分(平面鏡)には赤色の紙を貼り、白抜き文字で家名や町名などを入れます。
写真の船は私の母方の祖父のものです。祖父は園芸が得意で植物が大好きな人でしたし、洒落者でしたので、船の飾り付けは古風に、なるべく生花や天然の素材を使い、あまりにぎにぎしくならないよう気を配りました。こういったことも送る側の人間のこだわりでしかないのですが、いなくなってしまった人を思う気持ちがつい、こだわらせてしまうのでしょう。
船の装飾が終わると、船の家部分の一番前の高い位置に亡くなった人の遺影を飾ります。これで船が誰の船なのかが分かるようになります。また、お仏壇に供えていた野菜・果物・菓子・ご飯などの供物を藁で包み、船に乗せます。初盆でないお家や船を出さないお家も、同じように供物を包み、自分で港(大波止)に持っていくか、町内で出す船に一緒に乗せてもらいます。
精霊船の隊列の構成は次のようになっています。
上の写真の手前に写っているのがは印灯篭です。
右の写真の手前にいるのが(1)の先導する人です。御用提灯のような形の提灯を使用しています。
町なかまでの道のりは、たまに爆竹を鳴らしつつ、かなりゆっくりと進みます。
町なかに到着し、見物人も多くなってくると、花火に火をつける回数が増えてきます。
禁止されている花火もあります。お墓参りで大活躍する「やびや(ロケット花火)」も禁止です。これはどちらに飛んでいくかわからないので、危険だということだと思います。
他にも禁止事項があります。船を回してはいけないのです。
終点にあたる大波止の手前に県庁坂というちょっと長い坂(上って、下るようになります)があります。ここが船を見物するのには一等席とされているようです。テレビ中継(長崎の夏の風物詩)も県庁坂で撮影しているようです。


